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episode.5-3

それから1ヶ月だったか、2ヶ月だったか。 寝屋川が再びイラクに旅立ってのち、千葉は廊下の最中で呼び止められた。 「其処の若人」 こんなふざけた声掛けをするのは見ずとも分かる。 主任の八嶋だ。 「ちょっとお兄さんの話を聞いてくれるか」 「まあ…はあ」 「良い反応だ。実はもう直アイツの誕生日なんだが」 アイツ、の代名詞で直結するのが怖い。年が離れていれば可愛いのか、気持ち悪いほど牧の話ばかり飛んで来る。 「あの年頃って何が欲しいのかね、やっぱ金?金だよな」 「そんなシビアな奴じゃないでしょ」 確かに無難で、幾ら在っても困らないものの。イマイチ情とセンスに欠けるじゃあないか。 「…ふん、と言うかな。ぶっちゃけ誕生日云々より、どうにかしてやりたい事があるんだわ」 八嶋はいつも良くやる、突っ立ったまま片脚だけをふらふらさせる。測り難い割に律儀で、気が回るのは知っていたが。 プライベートな面を見せたのは、今日が初めてだった。 「牧、すげえ頭良いだろ」 千葉は間を空けず頷いた。身内の贔屓目でもなく、常人の数倍は回路の速い少年だった。 「だがな、あれは優しさから才能を犠牲にするタイプでよ」 「うーん…つまり?」 「俺らのサポートに感けて、やりたい事も捨てちまうって意味」 牧のやりたい事。これだけ一緒に居て聞いた例が無かった。 この会社に居場所を見出し、共に成長していく人間だと勝手に考えていた。 「アイツ、プログラミング方面が好きでさ」 「ああ、それは何となく」 「ゲーム作りたいって一時勉強してたわけ。それなら専門でも行きゃあ良いのに、仕事が回らないから結局足取られてんだろ」 饒舌に並べていた八嶋が天井を仰いだ。沈黙が生まれた隙間、千葉は千葉で考えに耽ってみる。 仰る通り、システムに長けた中核が育たない限り、奴は自分事に走ったりしないだろう。 だがしかし、それも2人の推測でしかない。幾ら巡らせた所で他人は他人。 「…決めるのは本人だと思いますよ」 真上を見ていた八嶋が、やっと視線ごと戻ってきた。 「提案するだけしてみたらどうです」 我ながら詰まらない模範解答だった。然れど八嶋は腑に落ちたらしく、あっさりとそのサジェストに乗っかった。 ふらふら失せる責任者を見送る。 曲がり角へ影が吸い込まれた頃、入れ替わりに背後から小刻みな足音が突っ込んできた。 「Vroom-vroom!」 短い足を懸命に急いて、転がる犬みたい。 小さな背丈が千葉を追い越そうとしたので、阻んで体ごと掬い上げた。 「わっ」 脅かすや、渉は今日も可愛い反応をした。 じたばたゼンマイ巻きの玩具よろしく鳴いている。 「Putt、Beep」 「どした?1人か?」 「I’m playing by myself…」 ヒアリングは進展しつつある。もう数ヶ月もすればべらべらと話し出すのだろうな。 千葉は大人しくなった幼子をそっと下ろした。 「…あ!」 そして予想通り、数秒遅れで牧が追いかけて来た。 今日は確か検診が来ている。大方針の先から逃げてきたのだろう。 「良くやった千葉、そいつこっちに渡してくれ」 「すんっごい嫌がってるけど」 「予防接種来てもらってんだ。病院じゃ余計に暴れるから」 ぎりぎり歯ぎしりをし出した。それで千葉の脚に隠れ、布地を彼方此方に引っ張っている。 「渉、仲直りしよう」 しゃがみ込んだ牧が手を広げた。大きな目が右へ左へ揺れる。 「俺ずっと隣に居るから、終わったらアイス買ってあげる」 駄目押し。別に喧嘩した訳でもないけれど。 顔をくしゃっとしたまま、それでも釣られた渉が帰ってきた。牧は喜色を湛えて、高々と宙に小さな身体を抱き上げた。 「Grrr!」 「痛い痛い、噛むなよ何だよ」 「牧」 一連のやり取りを見守ったのち、ふと声を張って呼んでいた。 先の八嶋の持ち掛けが、ぐるぐると胃の辺りに渦巻いていた。 「お前さあ…その、前ゲームがどーのこーの言ってたじゃんか」 「ゲーム?ああ作りたいって話?」 やっぱり唐突に過ぎたか。 ぽかん間の抜けた面で、牧は動きを止めていた。 「そう、それ。学校とか行かなきゃ難しいんじゃないの」 「やーまあ…そうだけど、此処抜けてまで行くことかなって」 「じゃあ、此処が無かったら?行ってたのか」 なあんでこんなお節介に踏み込んでる。千葉は自分自身、不思議な心地で噛み付いていた。 だってこいつは出来る才能を持っている。勿体無いじゃないか。殆ど八嶋と同じ心象だった。 素直な牧の人柄が、自然そうさせてしまったのだ。

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