47 / 111
episode.5-4
「…行ってたと思うよ」
渉を抱いて再び歩き出した。
彼の気持ち曲がった背を追う、やっぱりなと胸の内で答え合わせをした。
「でも今はそうじゃないじゃん。俺はアイツらに会って、この会社に入ったんだから」
「そんな結果論で良いのかよ」
したい事は、いつも真っ直ぐなんじゃないのか。他の因子に邪魔されて、結局間違えたらこの今を恨むのに。
「あのさ、会社とか学校とかって…やっぱ選ぶ理由は人それそれじゃんか」
退屈な話に渉はうとうととしている。並んで事務室へ向かいながら、千葉は黙って柔らかい声を聞き入れた。
「やりたい事だとか、将来性だとか、待遇だとか、あとは人間関係とか色々」
それはまあその通りだ。人間千差万別。意志は更に無窮。
「俺にとって何を優先すべきなのか、未だ答えが出なくてさ。でも全部取ろうなんて虫のいい考えは無理だろうし」
だからちゃんと考えてる。
最後はほんの呟きだったけれど。そうだ考えていない訳がなかった。学校に行くとしたら、牧は恐らく此処を出て都内へ向かうんだろう。
牧の誕生日当日、八嶋は蝋燭を手にケーキの前で呻いていた。野郎12名、プラス幼児。
うっかり粗末なサイズを買ったお陰で、15本目が完全に行き場を失っていた。
「だからデカイの買えって言ったのに」
ひょいと生クリームの塊を佐瀬が覗き込む。メインルームには何時の間にか、わらわらと職員が集まっていた。
「だってお前よォ、毎年このサイズで足りてたんだからよ」
「子どもが大きくなるのはあっという間ですよお父さん」
「…いやほんとに」
感慨深げに腕を組み、棒だらけのホールケーキを観察した。
「あっという間だわ。もう15歳って」
「そろそろ親離れの時期かもな」
こんなけったいな家族も無いよな。八嶋は辺りを見回して、なし崩しに形成されていたコミュニティに眉を顰めた。
「で、アレ渡すのかよ」
「ああ無理やりポケットに捩じ込んでやるわ」
八嶋の携帯が震えた。摘み上げると、誘導班の千葉から到着連絡が来ていた。
「よし野郎ども、主賓がお見えだぞ。配置に着け」
「主賓じゃねーだろ、辞書隣に置いとけや高卒」
やれやれと一同が散開する。腰を曲げ、最後の一本を無理やり真ん中に突き刺す。まあいっか。少し崩れたが目を瞑り、八嶋は慌てて火を灯すべくライターを近づけた。
「――誕生日おめでとう」
結局、牧はクラッカーが空気を割る一コマだけ呆けていた。幾らなんでも毎年の事だから、確かにサプライズも糞もなかった。
「あ…りがとう」
惑いがちに謝礼を紡ぐ側に寄り、八嶋が無遠慮に肩を叩く。左手には穴だらけのケーキを携えて。
「よう15ともなれば男児一人前、昔じゃ元服(成人)の節目だ目出てえな牧」
「…何か胡散臭えんだよな」
千葉のぼやきが入る。が、素知らぬ風で八嶋は火達磨のケーキを主役に差し出した。
「まあ儀式だと思って、一息にいってくれや」
「生クリーム溶けてるけど…」
「蝋燭立てすぎなんだよ、唯でさえ脳筋なんだから気いつけろ」
牧はどうにか傾げていた首を戻して、戸惑いとの中間点みたいな笑みを浮かべる。
不器用に差し込むから台無しになってるけど、これ結構良い値したんじゃないの。
流石に一息とは行かなかったが、律儀な少年は上司が用意したすべてを吹き消した。誰からともなく拍手と歓声が湧いた。
千葉が盗み見る、彼は心なしか嬉しそうだった。
ふわふわと名状し難い、気恥ずかしい空気の流れ。これが後何十回と続けども、こいつは底から笑うのだろうな。
「では各々プレゼントがあるらしいから、後で受け取るように」
「はいよ」
業務連絡の如き物言いに、含み笑いが漏れた。
「あと、これは連名」
改まって八嶋がスーツの懐から取り出した。押しやられたそれは見慣れた印字で、牧はバシバシと目を瞬いた。
「…通帳じゃん」
名義が自分だ。
追いつかない頭で、やおら何の変哲もない紙束を捲る。
虚を突かれぎょっとした。日付こそ不規則であれ、上から下までみっちり入金履歴が詰まっていた。
「いや…これ」
「お前の学費と生活費」
「へ?」
眉が八の字を描く。のっけから混乱する少年の肩へ、八嶋の大きな手が諌める様に落ちた。
「牧、お前学校行け」
問いでもなく。あからさまな命令口調で告げた上司に、千葉ともども口を閉じてしまった。
ともだちにシェアしよう!