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episode.5-7

「、渉…返事しろ…っ」 使命感だけで地を蹴る。焦燥が身体の中を丸ごと喰らい尽くし、空になる。 鈍痛と懸念から汗。滑る床を藻掻き抜け、千葉はどうにか隣室へと転がり込んだ。 「渉…!」 少年は瓦礫の中蹲っていた。想像で敷衍した恐れに苛まれ、小さな身体を必死に此方に向かせた。 「…ひっ、ぅひ、」 戦場のトラウマでも引き出されたのか。狂った様に泣いているが、目立った外傷は見当たらない。 安堵が押し寄せた。が、いけない此処に居ては。 散発的な銃声が壁を割り、慌てて廊下を振り返った。 (おい暴力団じゃねえのか) そもそも出鼻で投擲を寄越すなど、彼らの傾向で無い。 金属音が跳ねる。その上に被さり、マトモでない咆哮が轟いた。 伺う千葉の肩が跳ねた。 理性を持った人間の声でなかった。気味の悪さに血の気が失せた。 「…渉、皆の所に戻るぞ」 「ぃ、う、うぅっ」 どうしてこんな時に責任者が居ないんだ。奥歯を噛み、元居た給湯室から渉を抱えて走り出す。 床には食べられることのない、電子レンジから飛び出たパスタが散らばっていた。 『…――千葉!千葉、渉、何処に居る』 「無事だ!メインルームに向かう」 姿勢は低く、廊下を抜ける。頭の中で本部の見取り図を展開した。 この廊下は派遣調査員の昇降口とぶち当たる。其処で足留めしてくれれば良いが。 (4人…5人) ふつふつと増える足音に付随して、悪寒が止まない。何人来たんだ。何をしに来たんだ。 姿の見えない怪物から逃げのび、千葉は自動ドアの隙間からメインルームへ雪崩れ込んだ。 「…千葉!」 通り抜けるやほぼ同時、背後で非常用のシェルターが降りた。 駆け寄る佐瀬の面が逼迫している。 千葉は広い一帯を見渡した。 良かった、全員此処に居るらしかった。 「渉は?怪我してるのか」 「気絶してるだけだ、大丈夫」 「…お前は」 息をする度に肋骨がやけに痛いが。申告する程でもない、千葉は少年を引き渡すや、この先の展望を要求した。 「調査員が塞いでる、今の内に非常口から出るぞ」 一段高いフロント席から牧が降りてきた。序破急は誰も知らない。究明は一端放って、この場を動かす必要があった。 「見捨てるのか?」 確かに渉だけでも外に出すべきだが。親友の発言に牧は眉を顰める。 「…アイツらは戦闘特化部隊だぞ、妙な事を言うなよ」 「でもたかが11人だ。多分手に余る」 久方振りに見た、千葉の鋭利な目がメンバーを刺す。監視カメラが潰れた故に、敵を把握したのは己だけだ。 大凡人でないものが暴れ回っていた。 猟奇的な声を耳に、戦況が芳しくないのを悟った。 1人でも多く脱出すべきか。残留して調査員に手を貸すべきか。 千葉の憂慮は理解しつつ、正直誰も即断が出来かねた。 此処に来て場が固まる。その矢先。 ――…ガラン! 突然床板の一部が吹っ飛び、全員が反射的に得物へ手を掛けた。 集約した殺意が穴へ流れ込む。 淵から手を伸ばし、何かが穴を這い上がった。 揺れる銃口の先、人型が明るみに出る。 正体が分かった。途端、緊迫に縛られていた一同の肩から面白いように力が落っこちた。 「…あー、畜生め」 八嶋。何処から入って来たのか。 一転間の抜けた面で、責任者の帰還を傍観する。 彼が最後の手摺を蹴り、メインルームの床を踏む。そしてスーツを正す頃になると、みるみる周囲の面には安堵が広がっていた。 「脅かすなよ主任…ぶち殺す所だった」 「何だ穏やかじゃねえな、渉が録画した朝方のアニメでも流してやろうか」 「良いから教えてくれ。どうすりゃ良い」 軽く現状を伝えた。その間にも、シェルターを隔てた外で応酬が激化した。 獣の様な雄叫びが混じる。取り繕っているにしても、不足の事態に八嶋は呆れるほどいつも通りだった。 「ふん成る程な…さて千葉、お前渉を連れて出な。俺が今来た道は下水に続いてるから、環境は目を瞑って暫く暮らしてろ」 「…何で住まなきゃなんねえんだよ」 「後の輩も続け…と言いたい所だが、俺が好きで堪らない野郎は残っても構わん」 「何ィ?」 「そうじゃねえならとっとと引き上げろって言ってんだ」 厳重なロッカーを蹴った。中からアサルトライフルを剥ぎ取り、常の軽妙さを含みつつ。 銃を掴む手は厳かに、責任者は戦時の決定を通告していた。

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