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episode.5-9
「なあ、皆を助けてくれ」
「分かってる、取り敢えず表まで搬送するぞ」
「そうじゃない、ちゃんと助けてくれ」
「…何言ってんだ」
俺は別に、医者でも超人でも何でもない。
言ってやろうとして、落ち窪んだ目つきの鋭さに声を取られた。
だってそうだろう。
千葉は現在になって未だ、その面を忘れられた日は無かった。
お前がどれだけ痛いか、どれだけアイツらと過ごしたかなんて、傍から見ていた俺には分からないだろ。
今も昔も傍観者として立っているだけで、藁に縋る様な目をされた所で何も。
「良いから…お前は先に処置を受けろ」
けれど全員に借りはあった。
間違い無く異端者であった千葉を、此処の人間は憚りもなく受け入れた。
人としての感性を与え、親の様な顔までして。過去の罪を問わず、離れた千葉の立ち位置まですべてそのままを。
千葉は担架を奪いに駆け出した。
当たり前だ、助けてやるよ牧。
神でもない、一介の人に出来る範囲で構わなければ、何処まででも。
「ヘリが来たぞ――!」
調査員の叫びに弾かれる。
誘導すべくメインルームを脱し、千葉は折れた肋骨のまま脇目もふらず走り抜けた。
ーーー…
ーーそれから、
「……それから、約1年で今に」
腕を組み黙る。
寝屋川の背後、時計の音だけが波を紡いでいた。
話し終えた千葉は居心地も悪く、寝屋川の返答を待って佇む。
堪えきれないほどの、静寂。
この上司にしては珍しく、長い沈黙だった。
噛み砕いているにせよ質問も飛んでこず、動揺を隠す千葉は唇を舐めた。
「…時間は掛かりましたが、今はもう容態は安定しています。ただ調査員は残念ながら、5名が」
「ああ…その件は社長に詳しく聞こう」
漸く重い口が開く。空気の止まった部屋の中、この尋問が無難に終わる事だけを祈った。
「犯人はどうなった?」
「1人がメインルーム内で自爆したらしく。残りも巻き込まれて死亡しました」
「アイツもお前らも恐らく、その件を追っ掛けてるんだな」
仰る通りだ。
社長が頻繁に居ない原因はまさにそれで、手掛かりらしい手掛かりは無くとも、片時も忘れず捜し続けていた。
「成る程、経緯は理解した。時間を取って悪かった」
「いいえ…」
会合の終了を匂わせ、千葉は内心安堵の息を吐いた。
この上司は敏い。恐ろしいほど、バイタルサインから心の在り処を言い当てる。
「お前は平気か、千葉」
一歩退いて、寝屋川の台詞に平常心が揺らいだ。鋭い目に妙な汗が湧く。
「…またまたァ、俺がそんな可愛い人間に見えますか。ガキじゃないんですから、何時までも駄々こねませんよ」
電話に応答した際と同様、転じて明るい声を出す。もう半身を外に向けて、待機所から退こうとしていた。
「なら良いがお前、良く喋る様になったな」
きゅっと二の句が絞られた。
曖昧な笑みを貼り付けたまま、既に何か分かっていそうな上司を見据える。
「牧はどうしてる」
「…いえ」
不穏な兆候を察して、まじまじと目を開いたまま。
「元気ですよ」
つい無機質な声で千葉は寄越す。
引き留めるのを止めた寝屋川は、一言相槌のみで部下を帰した。
メインルームに戻り、粗方仕事を片付けた頃にはすっかり日付を跨いでいた。
渉の様に泊まろうか、どうしようか少しの間天秤にかける。
けれど、今は外の世界で何か探したかった。
施錠を終えた千葉は結局廊下を抜け、駐車場へと先を急いだ。
エントランスを潜り、シャッターを閉める。何故か長い一日だった。
ぼんやりと落ちる鉄戸を見守った。隙間が閉じきる頃合いになって、ふと鼻を突く匂いに面を上げた。
(…煙草か)
風と共に流れる、メントールの混じる香り。
正体に当たりを付けた千葉は、彼を追って風上へと歩き出した。
千葉の予測通り、非常口付近で屯していたのは気紛れに現れる高校生だった。
上がる視線と此方のものがぶつかる。
「遅くまでご苦労だな」
柵に掛けて寛ぐ相手から声が掛かった。まるで雇用主の如き尊大な台詞に苦笑した。
1つ下の臨時職員は、今日も可愛げなく毒を手に寿命を縮めていた。
「何してんだよ」
「別に」
戸和の鞄の隣には、似つかわしくないシュークリームの紙袋があった。
成る程また渉に餌付けていたのか。やけに少年を気に掛けるこの男は、稀にこういった差し入れを持って現れる。
「お前さあ、そういや何時までウチに居るんだ」
偶にメンテナンス関係で少し、否、かなりお世話になっているのだが。
彼にも学業があるから邪魔をするのは気が引ける。
ちょっと棘のある言い草になってしまった。
賢い青年は目を眇めるも、気にしない体で答えた。
「もう直ぐしたら居なくなるさ」
「…急だな、社長にはもう話したのか」
「いいや」
紫煙を天井へ吐き出す横顔は、地下の照明のお陰で青白い。
何だか明日にでも風に吹かれて消えて行きそうだ。
「渉が寂しがる」
「そうか」
「今のアイツにとって、お前が一番の味方だから」
「どうした?」
流石に悲観的に過ぎたのか、掬い取った戸和が面を上げた。
そう言えばこんな風に、2人並んで話すのは今日が初めてだった。
「…なあ、大事な人に嘘を吐いたことはあるか」
青年の逸れた立ち位置に、その時千葉は妙なシンパシーを感じていた。別段同じ境遇にいる訳でもない。
歳は近いが、それだけだ。なのに何故か、最も中心に抱えていた部分を問うていた。
「嘘はすべてが悪じゃない」
静かな情景、煙が揺蕩う。
「そして貫き通せば真実になる」
気付けば2本目に火を点けていた。使用済みのライターを無造作に放り、相手は受け止めた衝撃で蓋を閉じた。
「大切なのは何時だって目的と、“嘘”という手段が齎す結果だ。この世界には事実だけじゃ進めない道だってある」
戸和は常に。それ以上でも、それ以下でもない理(ことわり)を述べる男だ。
だが今の台詞は主観を隠しきれていない、物珍しい色に目を瞬いた。
「千葉、お前この街が嫌いだろう」
柵から腰を上げ、鞄を拾い上げる。予てから思っていた内容に、肯定して首を振った。
「…俺もだ」
言って踵を返した。もし違う場所で遭えていたらな。
去り際に零された呟きの意図を結局、尋ねる間も無かった。
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