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episode.6-3

「それにしてもお前、良くマトモに歩けるな」 出発してみれば、当然の様に本郷は運転席を陣取っていた。 人が良いのか悪いのかイマイチ掴みづらい。どうも想定よりよっぽど食えない性根らしい。 「まあね…人より治りが早いもんで」 「早いってレベルじゃねえだろう。けど、そういや俺も此処に来てから…」 本郷のその先が止まった。ついでに車も停まった。 怪訝な面を上げるや、萱島の目前には中世みたいな要塞が聳えていた。 「…何だあれ」 「詐病でロボトミーを受ける羽目になった映画をご存知で?舞台になった精神病棟もフェンスで覆われて、良くもまああんな所から飛べたもんだ」 「入るのか?彼処に?」 「一緒に入院してきたら如何ですか。主に頭の方で」 萱島のムカつく発言すら左へ流れる。 気付けば一本道を吸い込まれる様に進み、要塞の正面へ誘われていた。 車を降り、2人は暫し厳重な門を睨め付けていた。 庭すら内側に封じ込まれて、何か吐き気すら覚える。 さあどうしたものか。手中の鍵を見つめ迷っていると、勝手口から作業着の男が距離を詰めてきた。 「どうもご苦労様です!」 飛び出た腹と息を乱し、彼はどうにか2人の真ん前へと辿り着いた。 「いやー、お待ちしてました…RICの方でしょうか?」 「ええ…お話を伺いに」 「大城から電話で承っております、ささ、どうぞ中へ!」 言うや彼は一歩退き、満面の笑みで勝手口の先を促した。 一体何のテーマパークか。火星にでも着陸する心地で、2人は終始顔を顰めたまま芝生を過ぎた。 「…まさか入ったら出られないとかいうオチじゃないでしょうね」 遠ざかる笑顔を後目に、萱島がぼそぼそ憂慮をぼやく。 「お前も知らないなんざ妙な話だな」 「さっき施設の名を聞いたでしょう。“アルカナ”はラテン語で引き出しに「隠されたもの」…禁じた薬が好き勝手回ってるなんて、親にしちゃ日記見られるより恥ずかしいんでしょうよ」 流通に噛んでいたかは兎も角、蔓延の実態は知りながら隠蔽していた訳だ。 本当に空気が悪くて嫌になる。 フェンスの鍵を開けつつ、本郷は更に雷を呼んだ空を見上げた。 次第にポツポツと雨まで落ちてくる。最早何のかは分からないが、バックグラウンドのシチュエーションは完璧だった。 「天気が悪いぞ。さっさと帰ろう」 「さて日本のマフィアは律儀だ。使えもしない駒は殺れば良いのに」 「それこそお前の大好きな担保だろ」 「…さすが先生。仰る通り今日びのヤクザなんて“ヒモ”に寄生してますから、健気な彼女が泡風呂で金を拵えるんでしょうね」 この施設自体、どうせ身内に高額な費用をせびっているに違いない。儲けを見つければ、何処だろうと首を突っ込んで押し広げるのが暴力団だ。 釈然とはしないまま本館へ進む。 監獄の様な内装ながら一応病院らしくロビーが設けられていた。 「…何だこの音楽」 フロントへ話し掛ける手前、両者が歩を留めた。 ヒーリングミュージックの類だろうか。逆に疲弊しそうな単調さは、都内で最も自殺の多い駅を思わせた。 「やあどうも、患者が落ち着くんですよ」 気付けば間近に医師が居た。 先進国では受け入れ難い無精髭。白衣も汚い。 こんな場末の仕事、楽だろうなあと萱島は欠伸を噛み殺した。 「内部を見せてやれと言われたんですがね、お好きに回って貰って構いませんよ」 「随分広い敷地ですね。現在は何人が?」 「ま、凡そ120名です」 勝手にしろと言いながら、先導する意志はあるのか。斜め前を歩き出した男に、2人は黙って歩調を合わせた。 「しかし何分、入れ替わりが激しくて。正確な人数なんて把握してませんよ」 「入れ替わりが激しい?」 廊下を暫く進もうが、患者に一人として出会さない。良く映画で見たな、こんな光景。 同じ事を考えているのか、萱島も終始珍しい面をしている。 「なんせ運び込まれてくる輩は、5日と待たず死ぬ瀬戸際も多くて。粗悪な物を掴まされたのか、相性がそぐわなかったのか…ま、原因なんて知る由もありませんけどね」 「お前医者じゃないのかよ」 思わず素に戻った本郷が呆れて問うた。 目前の男は黄色い歯を剥き出し、海外のキャラクターの様に笑んだ。気持ち悪い。 「まさか医者な訳ないでしょ…薄給ですもん私。でも存外にね、白衣は様になるもんで…」 「もういい。患者に会わせてくれ」 頭が痛くなってきた。 男はあっさり了承すると、手近の病室をノックも無しに押し開けた。 「ーーさあ、どうぞ?」 男が退いた隙間から、アルカナの秘密がお目見えした。 真っ白い部屋の隅から隅まで、ベッドが収容所の如く整然と並んでいた。

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