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episode.6-5

「…!」 半ば突進してきた塊を、既の所で避ける。肌を焼く風圧に目を見開く。 もう逃げる隙間も残さず、暴力の化身が喉元へ手を伸ばしていた。 「受け取れ相模…!」 展開を待っていたかの様に、萱島が中心へ投擲したナイフを滑り込ませた。 起きろシリアルキラー。宿主のピンチだ。 正直賭けでしか無かったが、彼は反応して見事にナイフを捉えた。 直後、予測した血飛沫が天井から壁へ止め処なく噴き上げる。一挙に染まった赤い部屋の中、目覚めたスラッシャーの瞳が鈍く光った。 (やあ二度目まして) 世界観のある最高に良い絵だ。いっそ自分ですら見惚れる。 記憶のない彼も異常を察したのか、四方を殺したのち萱島を睨め付けた。 「――何だまたお前か、気安く名前を呼ぶな」 ナイフの血を払い、背後へ距離を取る。異端者の癖に妙な礼儀を請うてきた。 「どうも…その閣下、緊急事態なのでお力を借りられればと」 「お断りだ」 今日は機嫌でも悪いのか。跳ね除ける物言いに、萱島は面白い顔になった。 「はあ、その一体どういう訳で」 「食指が動かねえからだよ。てめえは俺をシュレッダーか何かと勘違いしてるな」 食指。無論、食うわけではないが、曰く博愛主義の人間が敬遠するとはどういう事か。 「まるで鏡の中を歩いてる気分だ、胸クソ悪い。気にならねえか?お前は俺に根本が似てるから分かると思うが」 次は不意を突かれた面で立ち呆けた。 さっき症状を問診した際、曰く患者が陥る“嗜癖”にはっとしたのだ。 「…いいや違う、こんな理性の無い獣と一緒にするな」 「あのガキが屋根の上で言ったのさ、俺の存在がパンドラの箱だと」 怯えなく噛み付く第二陣を、相模もまた無感情に斬り捨てた。 空気の濃さに吐き気がする。否定はしたが、今の彼は唯の裁断機だ。 「つまりな、俺は厄災と希望の象徴なのさ。開けたのは人間の罪だが、創り出したのは神の恣意…意味が分からねえツラだな、お前も何も知らない様だ」 神などと、この殺人鬼が宣うとは思わなかった。しかし聞いた所でひとつも返せる答えは無い、圧倒的に情報が足りなさ過ぎた。 「ご自身のルーツを知りたいなら、今だけでも協力願えませんか」 残留していた1人を撃ち抜いた。水溜りに遺体が埋まり、室内は異臭を残して沈黙した。 電気は未だ回復しない。此処を凌いだ所で、背後の廊下には嫌な音が迫っていた。 「このゾンビが後100人は居るんだ、未だ死ぬ予定も無いんでしょ」 相模は窓の方角を見やった。 曇天の下、凄まじい高さの塀が聳えていた。成る程、出口は正規ルートの一択だ。 そして目前の萱島、先からやたら左脚に気を遣っている。独りで脱するにも難しいらしい。 「…なあ、何故コイツらは共食いをしない」 指摘されれば確かに妙な話だ。他の部屋へ隔離されていた連中ですら、現在萱島らを求めて廊下を彷徨っている。 「仲間と認識する因子を考えてみろ。恐らく同じ生命体が脳に巣食い、身体を乗っ取ったんじゃねえのか」 正直新種の麻薬と言えど、ただの興奮剤だと捉えていた。ところが現状と照合するや、相模の発言が一番腑に落ちた。 「つまり妙ちきりんなウイルスに感染してるって?」 「空気感染しなきゃ良いがな」 案内していた男は無防備だった。それは無いとして、経口や交差感染は有り得るかもしれない。 まさか連中、麻薬に生物兵器を混ぜていたとは。零区を一掃したいのだろうか。 何にしても今はこの棺桶とおさらばしたい。 尚も窓際に座って動かない男に、萱島は食い下がり発破をかけた。 「ええいそんな事よりズラかりましょうよ、誰のお陰でこんな所に居るとお思いか!」 「わーかった分かった、助けてやりゃ良いんだろ面倒臭えな。大体こんな昼間っから煩くしたんじゃ近所迷惑だろうが」 「…近所迷惑ぅ?」 脱力する萱島の後ろ、排気口を数本の腕が突き破った。 咄嗟に距離を取って目を剥く。 廊下からわらわらと幾つもの手がハミ出し、獲物を求めて蠢いた。 完全に退路が塞がっている。 (糞ったれ何が同族だ) 悠長に寛いでいる男を放り、生え伸びる腕を片っ端から撃ち抜いた。 人間なら腕が吹っ飛べば怯むものを。 (不味い壁が…) 端から次々と亀裂が走る。鉄筋が嫌な悲鳴を上げ、壁が妄言でなく膨張していた。 崩壊する。 息を呑んだ刹那、萱島の眼前へ光速で何かが割り込んだ。

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