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episode.7-4
「∞(メビウス)ウイルスは単なる自己増殖に留まらない、感染先の細胞を活性化させリミットの外れた身体能力を引き出す。私達は覚せい剤に混入させ、服用者の経過を観察していた」
たかが壊れたのか、水原の独白は止まらなかった。
必要性を失い、萱島がゆっくりと威嚇の矛先を下ろした。
「喜べ、貴様ら害悪でしかない生き物が、我が国の未来に貢献出来る世界を。御坂康祐という神の下、人類の明日への架け橋となれるのだ」
「…回収業者も全部お前らの身内か」
「彼らもこの病院も余さずプロジェクトの一環だ。君らの様な害悪を率先して呼び込んだのも、行政を排除したのも…すべて新時代の兵力を産む、この“零区”という実験場を機能させる筋書きに過ぎない」
何が居住区の開放だ。何が犯罪者の楽園だ。
この街は初めから、ただの餌を完備したモルモットのゲージだった訳だ。
言葉に出さずとも、体内で負の情動を掻き回している。今にも噛み付きそうな被験者へ、水原は細い溜息を吐いた。
「自分を見詰めてごらん…手術を受けて以来、身体に起きた変化はマイナスだけじゃない筈だ。治るどころか運動神経は桁外れに飛躍し、君らは酔いしれ各々暴力に走った」
「阿呆な事言うな、妙な嗜癖のお陰だジジイ」
「大した問題もなく健常…いいぞ、素晴らしい!君達2人こそが私達の求めた完成形、即ち真の∞ウイルスなんだ」
迸る高揚のまま、男が声高に叫んだ。
対する2人は動きを止めた。
あの青年が言った「パンドラの箱」の意味。つまりは、スラッシャー…相模や萱島の存在こそ、ウイルスの理想たる完成形だった。
人類は∞ウイルスという希望を発見し、先の混沌へ突っ走り始めた訳だ。
「神だ!あの男は…御坂は神だ!分かるか?お前に、どれほど人智を超えた知能を要するか…おお、しかし…君達の中にあるもの、我々凡人には究明できなかった」
今度は酸素が足りずに喘鳴し始め、うろうろと、壁際を行ったり来たりしつつ水原は尚ほくそ笑んでいる。
「彼は…御坂は成果を教えようとはしなかった。そもそも君達の存在ですら隠し通そうとした。カルテは私の名前になっているが、彼が投薬で君を救ったのは明白なんだ。驚いたさ、∞ウイルスが再生能力まで有していたとは…」
うろうろ檻の中の熊のごとく、右往左往していた医師が漸く留まった。
「それが彼の犯した唯一の愚行だ。お陰で今日も我々は実験を繰り返し、悲しい犠牲を生み出し続けている」
現在までの出来事を回想しているのだろう、ぼうっと天井を見るともなしに仰いだ水原は、未だ何かぼそぼそと続けていた。
脳内で整理に務めていた。本郷は額を押さえ、新たな切り口を問うた。
「貴方の論文…拝見した覚えがある。確か国立医療センターに勤務されていたと思うが、P2への配属は国からの斡旋か?」
「勿論、これは内閣府特命担当大臣より賜った国家プロジェクトだ。意義を理解してない顔だな?良いか、態々訓練などしなくとも、何れ国民全てが強固な兵士となる」
それはまた随分と恐ろしい平和だ。
相模が理想形などと宣うなら、最後の1人になるまで殺戮が止まらないだろうに。矢張りもう、しっかり戦争の予定があるらしい。
「これぞ国民強化プロジェクト!絵空事ではないぞ、御坂という希望がある限り…」
水原の言葉を遮った。萱島の投げた刃先が壁へ突き刺さり、衝撃に柄を揺らしていた。
「もう結構、必要な情報は貰った」
「…お帰りかな」
「副社長、コイツの処遇は一端どうしますか」
隣の上司へ問い掛ける、それを嘲るかの様に水原が鼻を鳴らした。
「自分達が優位などと思わない事だ。零区にいる限り…否、何処にいようがこの先も監視され続ける。誰へ告発しようが、司法は君の家族ごと抹消するぞ」
「ご忠告有難う、貴方もどうぞ身の回りにお気をつけて」
簡素な挨拶のみで踵を返し、部屋を去る。
まさに一瞬の嵐の襲来を後に、水原は何時迄も扉の先を睨め付けていた。
「――さて、俺達も報告に戻るぞ」
なんて平静な男だ。錯乱して可笑しくない情報量を詰め込まれ、なお泰然とした顔に舌を巻く。
然れど萱島とて騒ぐ気にはなれなかった。
名状し難い不快感だけ抱え、両者は急ぎ足にP2を後にした。
帝命製薬は黒幕だった。
背後に国が付いていた。
この街ごと、建設から仕組まれていた。
萱島は一度見たきりの柔らかな表情を思い返した。
水原が神と崇めた、白衣を翻す所長の存在を。
「…なーにが元気?だ」
出合い頭掛けられた台詞を反芻し、今更業腹になった。
「人の身体に得体の知れないもんぶち込みやがって」
「なあ萱島、カルテの出血と輸血量見たか」
車を解錠した本郷が乗り込み、運転席から問うた。
見たは見た。完全に狂った量だった。
肩を竦めるや、上司は体ごと向き直って続けた。
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