75 / 111

episode.8-2

「救命…結局のところ、そんな単純な理由だった。しかしそれで君が巻き込まれる謂れも、増して病理を患う必要も無い。完全な被害者だ」 御坂が席を立った。カーテンを開け、形ばかりの窓から陽を招く。 「君の質問には全て答える責任がある。この∞について、プロジェクトについて。如何に決断しようが問わない、先ず僕は君に情報を開示する」 そう、無闇に怒りを覚えたい訳じゃない。 真実を知りたい。自分がこうなった以上、それが犬死でない唯一の活路なら。 「俺はどの位生きられる?」 声が変わった。凄む形を顰めた、本来の透き通ったものに御坂が振り向いた。 「残念ながら現状、投薬を続けたとして…平均の半分かそれ以下」 「十分だ」 元々革命家なんてもの、刹那的に生きていた。 大命があれば構わない。 「俺に残らず話せ、場合によってはお前の権力を使わせてもらう」 光を戻した、少年の相貌を医者は眩しげに見据えた。 一つ、この湾岸の研究所は国営である。 一つ、プロジェクトは「Berserk」と呼ばれ、戦争抑止に向けた諸外国への技術力示威を目的とする。 一つ、計画責任者は内閣府特命担当大臣の大鷹、研究リーダーは御坂とする。 (研究所の発足は昨年の8月、∞ウイルスの起源も殆ど同時期か) 戸和は見聞きした概要を頭のなかに纏め、自分なりに間の情報を補足していた。 3日も経てばすっかり起き上がれるまで回復し、御坂が不在の研究室で考え込む時間が出来た。 さて、プロジェクトと御坂の目指す所ははっきり齟齬がある。 彼に問えば、この施設内には2つの研究が同時並行しているらしい。 御坂は∞ウイルスを創った本来の目的“蘇生”を。 大鷹は身体能力向上性に着目し、肉体強化兵士の製造を。 健常な戸和は、後者の実験で∞を投与された訳だ。 “大鷹”とやらが無茶苦茶をしているのだろう。 (そもそも被害者を助けるくらいなら、何故そんな男のプロジェクトに賛同している?) ∞を創ったのが御坂なら、提供したのも御坂だ。 よっぽどの見返りを貰ったのか、弱みを握られたのか。 当人に湧いた疑問を問えば、いつもの柔和な面で答えた。 「正解、両方だよ。このプロジェクトに∞を提供する代わり、巨額の資金と最新の設備を貰ったからね」 「…弱みは?」 何か大罪でも犯したのか。 真っ直ぐな少年の追求に、矢張り医者は笑んでいた。 「今度紹介するよ」 婚約者が居てね。 続いた発言は、衝撃を生んだ。 確かに左手に指輪が存在していた。しかしこの浮世離れした天上人の如き男に、誓った相手が居たとは。 それが弱みならば、人質ということになる。 問答を交わして以来、戸和の御坂に向ける目は少なからず変わり始めていた。 「お前、いつ寝てるんだ?」 部屋には寝泊まりできる設備が揃っている。が、察するに日中を通してこの男が戻るのは、戸和の投薬の頃合いだけだった。 質問を受けた御坂は、一寸珍しい顔つきをした。 それで何が可笑しいのか、笑いながら机上のカルテを取り上げた。 「ええなに?僕のこと聞いてるの?」 「一応人間だろ」 「面白い子だねえ、君は…そんなこと聞いてどうするのさ」 どうするも何も、単純な興味だった。 結局業務外ははぐらかした主治医は、歩み寄り少年に右手を要求した。 意味が分からずも差し出す。 未だ成長途中の掌には、鈍く輝く記章が乗せられた。 「受け取るか否かは勿論君に任せる。僕の直属監査の役職を新設した、それは武器にも枷にもなるよ」 要は、自由に動ける通行証だ。 「こんな物を子供の君に渡したくは無かった。ただし君はもう戦場に来てしまった、無防備では生きていけないからね」 そして御坂の手は、今日も少年の頭を撫でた。 「ごめんね」 謝罪を零す眼の奥を疑いたくはない。 感化されたのか。いつからか、戸和は真摯な目で主治医を見ていた。

ともだちにシェアしよう!