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episode.8-3
帝命製薬研究所は元よりプロジェクトありきで建設され、世間とは隔離された埋立地に腰を据えた。
そして昨今、地下の大視聴覚室では連日次ステージへの会議が催されている。
御坂は姿こそ現さないが、彼らの動向を知る必要があった。
階下を覗き込むテラスへ降り、今日も官僚らが列を成す前方、白いスクリーンを見据えていた。
「――新都市は2006年5月の完工を目指しております、急ピッチでは御座いますが既に南エリアより改築は始まっており…」
巨大なプロジェクターには、建設予定の“零区”が映し出されていた。
帝命製薬は北へ撤退し、3分の2を居住区として開放する。
(被験者を増やしてどうする)
御坂が知る限り、∞の研究は大鷹に渡してより前進が無い。
徒に戸和の様な感染者を増やし、明らかに枠外へと暴走していた。
「ええ、不可能では御座いません。絵空事では御座いません…何より先般、我々が∞ウイルスを投与した少年が生きております」
会場がどよめいた。
発言内容を拾った、御坂は信じがたい目でマイクを握る男を睨め付けていた。
「彼は御坂所長の処置により、現在も快方に向かっております。∞は連続抗原変異(抗原性を次々変化させる)特性を持つウイルスです。抗体製造は困難に思われましたが、御坂所長はヒトが生来持つNK細胞に着目しました。これにより…」
確かに、処置内容もすべて公開する条件で、あの少年の身柄を奪取した。
しかし何が快方か。
壇上にはプレゼンターのネームプレートが置かれていた。
水原邦夫。厚生省が斡旋した人間だが、妙な熱気に高揚している。
「未だ身体能力に関するデータは取れておりません。ですが、彼は必ずや当プロジェクトに有益な証人となるでしょう。∞ウイルスは近い将来実用化されます、何故なら我々には御坂康祐という最高の名医がついています…」
彼は、
水原が叫んだ。待ち構えていた様に、スクリーンには次々と御坂の築いた研究のサマリが映し出された。
このプロジェクトが誕生した原因、∞の起源であるマウスの凶暴化から、現在に至るまで。
質疑応答を待たず、手を挙げる傍聴者が続出した。
会場は熱狂していた。謎のうねりを産み、四次元を発掘したような革新に取り憑かれて。
吐き気がする。
御坂は冷めた目で聴衆を俯瞰する。
ヒトという種族に、吐き気を覚える。
否。目元を押さえて思い出した。
自分もただの人間である。それ以上でも、それ以下でも無かった。
「――これは御坂所長」
後方から覚えのある声がした。
面を上げ、胡乱な目で振り向く。
計画の統括責任者、大鷹が悠然と立っていた。
「貴方が尽力してくれたお陰で、今日のカンファレンスは大変有意義なものになりました。宜しければ質疑応答に参加頂けますかな」
白々しく大義名分で塗り固めた手を差し出す。
御坂もそれに応え、温厚に拒否を示した。
「“Berserk”には一切関与しない、そういう約束でした」
「しかし貴方はあの少年を助けた」
何を根拠にそんな偉そうに構えて。
詰め寄る大鷹の手前、会議を眺め微動だにしない。御坂の目を覆うレンズだけが、次々と反射で色を変えた。
「治療法が生まれ、共存の道が開けた。矢張り御坂所長、生みの親である貴方が誰よりも∞を理解できる。∞を人類の未来へ活かせる。これ以上無用な実験を繰り返す事無く、無駄な犠牲も産む事無く…」
大鷹が上方から、目を剥いて相手を掌握しようとしていた。
死を連想させる威圧を放ち、暗にプロジェクトへの参加を強要している。
此処に来てこの力業。御坂はついに吹き出していた。
「ふっ…あはは…!ご冗談を」
「何ですと?」
「無能の言い訳がそれか。猿め」
大鷹の形相が一変した。
奥歯を噛み締め、血でも噴出しそうな勢いで首元まで紅潮する。
「…貴様ァ、どの立場で物を言ってる!婚約者が八つ裂きになっても良いのか…!!」
憤慨し、掴み掛からんばかりの剣幕だ。
漸く視線を合わせた、御坂は相変わらず厭世的な笑みで口元を歪め、突然男の喉へH&Kの銃口を押し込んだ。
「ぐぅっ…!」
「立場だと…?大鷹、お前こそ勘違いしてるな。確かに彼女は人質だが、立て篭もりの犯人と同じ理屈だ。人質を殺せばもう何も交渉材料が無い現状、貴方は絶対に彼女を殺してはならない」
子供に言い聞かせるかの如く、至極ゆっくりと医者の声が耳へ流れる。
「だが俺は?誰を殺した所で、誰が裁く。お前は俺に何が出来る、妙案があるなら聞いてみたいが」
もう後が無い。
凶器に喉仏を押され、手摺に仰け反る大鷹は現在地の高さに息を呑んだ。
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