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episode.8-4
「…わ、分かっているのか」
狭まる喉から、どうにか干からびた声が這い出た。
「お、俺が…国との、パイプを…」
「いいや」
無碍に御坂の声が遮った。
最後の審判を下すかの如く、一切温情を欠いた目で見詰めて。
「代わりなんて幾らでも居るさ。怖いな、死ぬのは」
柵へ、食い込む身体の傾斜は限界に近かった。
大鷹は真っ白な天井を凝視した。今にもふわりと脚が剥がれ、絶望へ吸い込まれそうな最中。
怖いな、と。恰も寄り添うかの様な響きが、内から悪寒を湧き立たせた。
「その際限ない恐怖をお忘れ無きよう、大臣。お前が何の事情も知らない14歳の少年に、一生涯植え付けた大罪を」
喉仏へサイトが食い込んだ。
がっと悲鳴でもない、ただの空気を吐き出す。
「目を背けようが、何度でも思い出す」
そうして、宛てがわれていた牙が離れた。
一気に酸素の供給が再開した、大鷹は脚元から崩れ落ちて盛大に咳込んだ。
「…み、っ御坂…!」
這いつくばり、懸命に生へ縋る男の戯言が漏れ出す。
「お、お前と違う…、俺が見ている…ものは」
ヒューヒュー唸る喉を抑え、銀魚の如くギラつく眼球が睨み上げた。
多少の犠牲など、覚悟の上でやっている。生半可な限りでなく。そんな男の暴言を、じっと計って待ち構えた。
「代償のない成功など…存在し得ない、お前の∞ウイルスがその象徴だろう…創ったお前が一番分かっている筈だ、万能の救済など存りはしない…!」
対価を払わねば何も買えない。
大鷹の足掻きが、僅か御坂の中枢へ食い込む。
言ってくれたな。
例えば大鷹の蛮行が、生まれ続ける実験の被害者が、すべて大元の原罪に基づくとしたら。
(裁かれるべきはお前だ、御坂康祐)
拳銃を仕舞い、蹲る男へ一瞥のみで踵を返す。
ずっと考えていた。人間の心臓を再び動かすなどと…凡そ許された域を超える時、一体如何ほどの対価が必要か。
長い廊下を抜け、御坂は何度もゲートを超えて地下へ沈む。
それがたった1人、最も大切な人間であったとして。
自分の最愛に過ぎず、世界には微塵もプライオリティでないのだから。
「お疲れ様です」
個室の手前で警備が敬礼した。
今週で2回目だ。鈍色のセキュリティーカードを通し、やけに重厚で浮いた扉を押し開けた。
ぞっとする程の冷気が出迎える。
今日も秘密の部屋は蒼く、現世と軸の異なる世界のように澄み渡っていた。
「おはよう」
幾度と無く繰り返された挨拶へ。
応えてくれた筈の婚約者は、分厚い硝子の中で凍り付いていた。
医療が、∞の開発が追い付くまで彼女は腐らぬよう、氷点下で死の瞬間から動きを留めている。
隣接した椅子に掛け、御坂は囲む箱の表皮へ体温を重ねた。
「いつも君の意に反した事をしているな、僕は」
“――素晴らしい!”
一昨年、突然剥奪された研究記録が国へ献上された。
監査と銘打った彼らは私室の物色を始め、凶暴化したマウスの尻尾を摘み上げた。
君の研究は素晴らしい。
訳も分からぬまま手放しの賞賛を受け、目を剥く。御坂の眼前、大鷹と名乗る男が詰め寄っていた。
“同時に危険だ、君個人で管理できる域を超えている。これは国の統制下に置かせて貰う”
これ、の指す先を追えば、ゲージで暴れ狂う鼠と、男の仄めかす所はもう一つ。
地下に冷凍保存された、婚約者の収容を示していた。
私欲に塗れた眼の奥を見た。
瞬間、取り返しのつかぬ事をしたと察した。
「…恒久平和か」
振動も伝わらぬ硝子を、指先で叩く。
「大鷹も君も、そんな机上の概念を抱いて…一体何をKPIに走っていたのか」
じっと薄い瞳を捉える。血の巡りを欠いた器官は、空虚に鏡の如く此方を映していた。
何分そうしていただろう。
白衣の携帯が震え、御坂は送信元を確認した。
メールは私室の少年からだった。
よっぽどの事が無ければ、彼はメールなど寄越さない。
訝しげに文面を追った矢先、御坂は直ぐ様身を起こし、青い一帯を後にしていた。
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