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episode.8-7
「…待て、掛け直す」
控えた部下がアイコンタクトを寄越した。
先から行き交うスタッフが、何度も寝屋川らの挙動を確認していた。
長居し過ぎたか。壁から背を離し、部下へ裏口まで車を回すよう指示する。
「車椅子で移動できそうか」
「ええ、もうバイタルも安定してますから…それより」
碧眼が病室の側を振り返る。
「何か大尉に話があるそうで」
時はそれなりに経過していたが。1年間の昏睡から起き上がり、本人も混乱しているだろう。
寝屋川は病室を訪れ、額を押さえる青年の手前で膝を折った。
「ビング」
愛称だが、編成時から呼び馴れた名だ。
年若い彼は直ぐに面を上げ、自分を伺う上官を縋るように見た。
「…大尉」
「お前も落ち着かないだろうが、一端此処を出るぞ。詳しくは後で話す」
「でしたら、RICに連れ帰って下さい」
カラカラに乾いた息だけの声が乞う、寝屋川は憔悴しきった部下をじっと観察した。
基地が恋しいと言うより、切羽詰まった様相をしていた。
「分かった。車に行こう」
しゃがんだ姿勢のまま、昔同様に軽く肩を叩く。
ビングは返答に一息ついていた。ただし久方振りに空気に触れた瞳だけ、妙にギラギラと研ぎ澄まして。
一行はスムーズに彼を連れ出すことに成功した。
病院を後にする車内、青年はペットボトルの水を飲み干すや、隣の上官の腕を掴む。
「…どうした?」
「大尉、俺はあの時地下1階に居たんです。そして犯人と、会話した。確実です、覚えてます」
寝起きに何処にそんな力があるのか。ビングの指は恐れを抱いて、戦慄きながら相手の腕へ食い込んだ。
「しかし靄が掛かったようで…エントランスに連れてって下さい。現場へ行けば、俺は絶対に何か思い出す」
そうして張り詰めた両眼から水が落ちた。
仲間の訃報は、さっき聞いていた。寝屋川は無言の肯定を投げ、青年の目元を袖で拭った。
影の色濃いホームへ辿り着き、一行は車椅子の青年を跡地へ運んだ。
何もかも昨日の様だと怯む。呆然と記憶を辿りながら、ビングはふと骨の浮いた右手を挙げていた。
「…此処で」
表面は綺麗に塗り替えてあったが。
同僚2名が一瞬で絶命し、血溜まりに沈んだ現場だった。
「大尉…奴ら話しかけてきました。監視カメラもゲートも掻い潜り、前触れすら無かった」
「何と言ってきた?」
痙攣する指先で米神を押さえ、懸命に掘り起こしている。
今は唯一の証人である彼へ、全員の力強い視線が刺さっていた。
「…もうかなり様子が可笑しかった。要求を断ったら、キレて撃ってきました」
「そうらしいな、完全に狂ってた。要求の内容は思い出せるか」
「内容は…」
コンクリートを映す瞳が、鈍くなったり光を増したり。
沼を天地も分からず彷徨っていたビングが、漸く水面へ首を出した。
「そ、うだ…渉」
するする青年の口から零れ出た。
毫も予想出来なかった答えに、寝屋川ですら反応を失った。
「アイツら、渉を出せと」
ビングの声が確信を帯びる。今度は真っ直ぐに見られた寝屋川が、沼を揺蕩う羽目になる。
原因不明の揺らぎ。
全員が黙り込む、その背景に数人の本部職員が通り過ぎた。
はっと引き起こされた。寝屋川が続きを遮り、脚を踏み出していた。
「…場所を変えるぞ」
弾かれた様に部下らはエントランスを開き、ビングを伴ってエレベーターへ動き出す。
動き出しながら、頭の中ではずっと同じ単語をぐるぐる旋回させていた。
無邪気な少年。社長の弟。
ビングの目は間違いないと語っていた。訳が、分からなかった。
『――…身柄を引き渡せと言ったんだな』
『そうです、大尉…対象は彼1人でした』
同時刻。
牧は上階からモニターに映る監視映像を睨め付けていた。
32型の液晶には、寝屋川とその側近、退院したビングが鼎談する様子が映り込んでいる。
本来、調査隊長の事務室まではアクセス出来ない仕様に関わらず。この青年に掛かれば容易い。
ヘッドホンを携え、目を閉じ牧は集中した。
何か一つでも、ほんの糸の先でも見つかれば喰らいついて離すまいと。
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