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episode.9-6
『その間に先へ進め。二度は無えぞ』
十分に釣りが来る提案だ。
今日まで何も言わず手を貸す親友へ、牧は言い難い感情で目を伏せた。
「…ああ」
頭上の窓硝子が消し飛び、体勢を低く抜け出す。
M2は確実な始末に向かっている。
その殺意を冷めた目で俯瞰し、反撃可能な位置まで回り込んだ。
戸和、お前は主人を護っているのか。
何の為に。何を思って。
だが正直どうだって良かった、相容れぬ対岸の意志なんて。
「もう終いだよこの街もお前らもな」
中距離射程からスコープを覗き、躊躇いもなく青年の肩を撃ち抜いた。
異常な反射神経が僅か逸らす。
それでも完全な回避は叶わず、彼の上腕から血液が迸った。
筈だった。
「…――!」
牧の目前、遮蔽物にしていたラックが弾け飛ぶ。
咄嗟にドアから空室へ滑り込んだが、脚は幾つか裂けていた。
(痛覚が無いのか)
一寸目が合った。余りにも本来の彼からかけ離れ、剥き出しの衝動を湛えた暴力性。
攻防の隙間で、額へ流れる汗を拭う。
いやそうか。もしかしてあの青年、いつも煙草を吸っていたのが副作用の嗜癖であるならば。
牧は合点し、硝子に反射で映る猟犬へ目を眇めた。
「…おい千葉、あの馬鹿力と俊敏性…恐らく例のウイルスに感染してやがる。何時からは知らないが、そろそろ理性が機能しなくなるかもな」
『やっぱりか。しかし今まで何かしらの薬で抑えてたなら、理性どころの話じゃないぞ』
∞は感染者を喰い尽くして殺す。
今解放して暴走に任せているのだとすれば、何もせずとも死に至る。
「――戸和」
図らずも声を張っていた。
硝子越しの青年が、充血した瞳で此方を振り向いた。
「成る程な、御坂が死ねばお前の治療も絶望的になる…そういう事か」
「いいや」
現在も蝕まれている筈の身体は、尚も淡々と受け答えを寄越した。
「元々完治なんて期待していない。抗生剤は存在する今、アイツが死のうが数十年は生きられる」
「…だったら大人しく余生を過ごせば良いだろ、何を死に急いでる?」
「逆算したのさ」
何故かその時見えた。
遥か遠くに立つ青年の瞳へ、確かに映り込む自分の姿が。
「命が消耗品なら使い時がある、分かってるだろ」
牧の決着は先だ。しかし今に命を費やす覚悟は、向こうならとうに出来ていた。
呑まれ一歩遅れた牧の眼前、キャリバーの射手が瞬く間に距離を詰めていた。
歯を食いしばり応戦を試みる。
しかし凄まじい衝撃と共に、牧の獲物は視界の端へ吹き飛んだ。
「――…お前は未だ死ねない、何故なら未練があるから」
喉元へ押し掛かられ、硬い地面へ打ち付けられる。
血を吐いた牧の視界が白んだ。
「牧…!」
既の所で千葉が撃ち込み、首を絞めていた青年を遠ざけた。
再開した呼吸に咳き込む。
後数秒で骨が折れる所だった。
モノクロの世界で呆然と息をし、銃を携えた死神を映した。
「お前は更に中途半端だな、千葉。一つ言っておいてやるが、RIC襲撃を指示したのは御坂じゃないぞ」
露骨に千葉の表情が凍る。
空気でそれを感じ取り、口元の血を拭った牧が吠えた。
「信用するな千葉…!都合の良い話なら幾らでも出来る!」
「都合だと?ならお前、まさか自分が中立だとでも言うのか!」
怒りに目を剥いた姿がM2を構えた。
遮る物が何も無い。化物の牙を間近に、牧が重傷も覚悟で飛び掛かった。
廊下へ雪崩れ込む。
距離を無くし、近接格闘に発展するかと思いきや、一瞬で引き抜いた刃物を牧が振り翳した。
そして全体重を掛けるが、相手は感染者だ。
次第に支える腕が後退し痙攣する。明確な殺意を間近に受け、SMGを構えた親友へ声を振り絞っていた。
「――千葉!構わない殺せ…!」
サイトの先へ頭を捉えた。千葉の背中を冷めた物が走り抜けた。
こいつも殺さなくてはいけないのか。
御坂を殺害する為に、目的を完遂する為に。
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