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episode.9-9
「…ここ、研究所だ」
渉は覆い尽くすフェンスを睨む。
本郷らに内緒で、咄嗟に車の後部へ忍び込んでいた。
息を潜めて数十分、幸い気付かれずに済んだが。
到着するや大人達は走り去り、沈黙の車内へ取り残されていた。
展望も無く途方に暮れる。
牧と千葉が行ってしまった。
子供の勘だとは分かっていても、もう今自分が追い掛けなければ二度と会えない気がした。
最果ての目をして、まるで長い旅に出掛けるみたいに。
知った世界から消えるのを、咄嗟に大人について追い掛けていた。
(あの隙間…)
大きな目にフェンスの境が留まった。
ほんの僅かな抜け穴ながら、子供の体なら難しく無い。
駆け寄り、草葉の影へ静かに潜り込む。
密集する枝が肌を裂いたが、構わず身を捩り押し進んだ。
「――走れ!モタモタするな!」
間近で怒声が轟き、思わず竦み上がっていた。
そこかしこに火花が上がり、発砲音が聴覚を抉る。
そもそも2人が何処に向かったかも知らない。
戦時の空気に嫌な記憶が蘇り、咄嗟に逃げる様に樹木の合間を突っ切っていた。
(う、裏手に回ればもしかしたら)
多分中央に聳え立つ、あの建物へ皆は向かったんだろう。
勘を働かせ兎に角走った。
緊張から息が上がり、建物が遠い。
広大な敷地に脚は縺れ始めていた。
止まりかけた少年を、突如背後から何者かが掴み上げた。
「――…ひっ」
「何だこの餓鬼は?何処から入った!?」
「零区に子供だと…?おい少年、この街から来たのか?」
警備兵だ。
直ぐに危害を加える様子はないが、怯えから歯の根が合わない。
こんなに即刻で捕まるなんて。
これでは無理やり来た意味どころか、無事に戻れるかも怪しい。
「家は何処だ?何しに来た」
「…と、友達を…さがしてる」
「友達ィ?さっぱり読めねえな、どうするコイツ」
「取り敢えずこんな危ない場所に放っとけ無いだろ、身柄を確認するのはそれからでも…」
ふと相手の視線が首元に止まった。
ゲストカードの様な黒い紐。身分証を連想させ、男は勝手にそれを引き抜いていた。
「あっ」
「何だこれ社員証…!おい」
隣のもう一人を叩く。
覗き込んだ男も、印字された項目へ見る見る顔色を変えた。
「RICだと…しかも渉って確か…」
2人の大人が一斉に自分を覗き込んでいた。
気圧された少年が後ずさる。
何を考えてる。追いつかぬ間に襟首を捕まれ、渉は瞳をギラつかせた警備に羽交い締めにされた。
「は、離せよ!何すんだ!」
「コイツ所長の一人息子か!上が捜してた交渉材料じゃないか…!」
「息…なに?」
「…そうだなお坊ちゃん、お望み通り中に招待しよう。どうして火中にのこのこ来たかは知らんが、我々にとって君は非常に価値があるからな」
不可解な説明に汗が伝った。
何か勘違いしているのか。それとも全く預かり知らない事情が動いているのか。
怯えた所で展開は止まらない。
拘束された少年は声も無く、研究所本館――零区の陰謀の根源へと引き摺られて行った。
「――エリア2の警備は殆ど機能していません。敵車輌は既に情報センター手前まで侵食していますが、先の戦闘機の動きも怪しく…」
「数人屋上へ降りたらしいがその程度問題無い、それより本館の報告は未だか?御坂の犬にも繋がらんそうじゃないか」
「ええその、今人出を手配していますので…」
「兎に角御坂だけでもさっさと退避させろ、生憎上は未だ粛清を渋ってる。増援は望み薄だ」
研究塔中階、視聴覚室には大鷹を核とした臨時作戦本部が敷かれていた。
望み薄、との発言に並ぶ顔が曇る。
国の支援が欠かれた今、自分達だけで窮状を切り抜けねばならないのか。
「そんなに暗い顔をするな諸君。一体我々の手元には何があると思う」
幹部らは特命大臣の面を仰ぎ見た。
中には露骨な恨み辛みも載せていた。
今日まで尻を叩いておいて、どうして易々と肝心な時に突き放せる。
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