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episode.9-10

「あるじゃないか、最強の兵器が」 室内は水を打ったように静まる。 嫌な汗を浮かべた、一同へ大鷹は予期していた諸刃の剣を叩き付けた。 「――これよりVA2強化作戦を始動する、本館の待機所へ射出準備を整えろ!実戦における有用性を示し、この窮地を好機に転換するんだ」 「お、お待ち下さい…大臣、貴方…私共の部下にまさか」 「それが何だ、他に有効な手立てがあるのか。君は赤の他人は検体に出来るが、身内は止めろという…甚だ勝手な話だな」 それは、確かにエゴかもしれないが。 未だ踏み止まる職員に、大鷹は苛立たしげに最後通告を投げた。 「私の計画における人材はみな画一的だ、平等に扱う!」 さて御坂康祐が神ならば、この男は槍を担いだ悪魔だ。 反感を抱きながら、しかし同時に誰もが項垂れていた。 悪は強い。 汚れを洗い流すよりも、泥へ落とす方が余程簡単な様に。 「…おい、私だが…VA2の射出準備を」 統括部長は受話器を取っていた。 震える指を握り込み、本館の部下へ最後の勅令を繋ぐため。 同刻、本館の待機所は既にアナウンスで埋め尽くされていた。 侵入者が何処へ出没した、前線の様相はどうだ、誰が出動するのか、中には誤報までが混ぜこぜになり、新人ならばパニックに陥る混沌だった。 「情報が錯綜しているが落ち着け、兎に角これより上へ誰も通すな」 「了解しましたチーフ、先ほどの上階の異音については」 「俺が確かめてくる、お前達は引き続き…」 不意に頭上の警報が作動した。 全員がぽかんと天井を仰ぎ、虚を突かれて佇んだ。 「…何だ?スプリンクラーが何か…」 そして彼らの面へ、突然スコールの如き水量が降り注ぐ。 5秒と数えぬ間にずぶ濡れになり、デスクから床から容赦なく水が流れ込み始めた。 「くそっ、誤作動か…!こんな時に!」 「おいPC布で覆ってプラグ抜け!コード類も全部だ、管理室へは俺から連絡する!」 「消火剤か?この水やけに薬品の匂いが…」 警報に釣られ殆どが天井を向いていた。 湧き出した水は目の粘膜へ入り、口内へ落ち、誰もが反射的に嚥下した。 その水の正体も、後の顛末すら誰も何も分からぬ儘に。 「ぐ、ぐああああ…!!」 豪雨で見えない視界、端から呻きが漏れる。 はっと弾かれたのも束の間、やがて自らにも襲い来る熱に、警備らは次々地面へ蹲った。 「どうした!何があった!」 「そ、外に出ろ…!この水から…」 物凄い水量に視覚どころか、声すら満足に届かない。 既に足首まで浸水した中、1人また1人と倒れ込んで埋まっていく。 「シャッターが開かない…!どういう事だ、管理室も繋がらないぞ!」 「ち、畜生…身体が苦しい、…燃える」 「しっかりしろ一体何が…!」 ドクン、とのたうつ心臓に指揮官までも崩れ落ちた。 体内へ尋常でない熱が暴れ回り、肉体が決壊を始める。 咳き込み、瞬く間に川が赤く染まった。 既存の体組織が死に、それを上回る速さで新たな細胞が増殖していた。 「…た、助けてくれ」 もう誰のものかも分からない悲鳴が満ちる。 意図的に閉じ込めた待機所へ、莫大な薬品が投下された。 畢竟するに、この現状は。 残された理性が絶望した。 拒絶反応が収束し、徐々に地に伏した警備員らが首を擡げる。 拡大した瞳孔をふらつかせ、明後日の方角を見て。 ダラダラ涙か涎かも分からぬ液体を垂れ流し、全身の血を沸騰させていた。 『――…待機所の第2小隊へ通達します。皆さんは現在、VA2ウイルスを投与されています。これは∞ウイルスの所謂β版ですが、命に別状はありません。繰り返します、命に別状はありません。慌てず次の指示まで待機して下さい』 VA2は幸か不幸か。 初期版の様に、思考中枢まで破壊する代物では無かった。 故に誰もが放心してスピーカーを睨んだ。 人体に害が無いなら、どうして今血を吐いている。どうして何の説明も無しに、突然我々を閉じ込めた。 『VA2に対する詳しい説明会は後程実施致します、皆さんの現在の任務はこのフロアの死守…――』 何者かがプラグを引き千切った。 音声が寸断され、静寂が訪れるかと思いきや。 またもう1人が人とは言い難い雄叫びを上げる。 そうしてシャッター目掛け、数十キロを超えるラックを投げ付けた。 「ふざけるな…!俺達を検体にしやがって、殺してやる…殺してやる……!」 知性の残存は、経緯に基づくターゲットを与えた。 しかし阻む者なら、何もかも壊して構わない野蛮さを伴って。

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