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episode.9-14

「この無能が」 遂には、大鷹のひた隠しにしていた核を抉った。 自尊心の塊が膝から崩れ落ち、宙を惑う。 男は御坂という超人を祀り上げ、その才能に寄生していた。 当人が擦り抜けて行けば、もう大鷹には中身の無い空論しか残らない。 この街共々、莫大な不良債権と化して。 「The permanent world peace?Don't make me laugh…」 吐き捨てる寝屋川を前に、見て見ぬふりをしていた、ぐるぐると脚元へ渦巻く沼に脚を掴まれる。 “Give up one's arms. Do it now.” にべも無い、冷えた勧告に戦慄く。 ああ敗北とは、現在までの一切を全て無に帰す。これが戦争なのか。 「…それで神崎、どうするんだこの戦況は」 「大鷹に停戦命令を通達させる」 腕を掴み、地面から引きずり上げられた。まるで絞首台の様に、司令室のマイクへ連行される。 「下に居る連中は」 「勿論、お帰り頂く。分からんならマーベリック(空対地ミサイル)でも打ち込むか」 窓から数十メートル先の本館が見えた。 中間辺り、窓硝子が飛び散り不穏な騒ぎが起きていた。 最上階には御坂、その右腕。向かう子供2人と、追い掛ける感染者2人。 本当の結末は其処で迎える。 外野の始末として、神崎は作戦本部のドアを押し開いた。無事にとは行かなくとも、どうか上手く噛み合う事を願って。 大鷹の考える様に。 全て無に帰す、とは誤謬がある。 正しくは良いとされる物は剥奪され、悪いとされる物はそのまま圧し掛かった。 自分の意志を貫くには、戦うには、その最悪の未来も受け入れねばならない。 「…何だ」 階下で明らかに異様な、人の咆哮が建物を揺らしていた。 肩で息をしながら、戸和は反撃も置いてじっと音源へ耳を澄ます。 嘆きを孕んだ悲鳴が聞こえる。 目を見開き、理解した顛末に顔を抑えた。 (あの改悪品を打ったのか) 切羽詰まったとは言え、今日まで自分の為に身を窶した部下を。 お前如きでも見捨てず、方角も分からぬ前を向いていたのに。 『――牧、下だ』 騒ぎの元を探っていた青年へ、連れのインカムが届いた。 『下で何か、多分…感染者だ。覚えがある』 さすればあの日を思い出したのか、千葉の声は震えていた。 『こっちへ来るかもしれない、どうする』 「どうもしない…いや、お前」 走り出した心臓を押さえていた、曰く“中途半端な”青年の脳が殴られた。 「最後には俺を置いてけよ」 2つの意味に取れた。 不要であるという宣告、逃げてくれと請う友誼。 曖昧な受け取り方をして、千葉の首筋を透明な汗が滑り落ちる。 『どうしたよ…此処まで来て、急に何』 「俺は1人じゃ生きられなかったんだ」 牧は自分を語らない人間だった。 それはあの事件が契機だった訳でもなく、出合い頭からそうだった。 痛いと感じようが、辛いと感じようが、一つも言葉にして伝えない、いつも隠した水槽に人知れず水を溢れさせる。 そいつが今。 「…1人じゃ、生きられなかったんだ」 淡々と繰り返された台詞が、一体どれ程の重さを抱えていたか。 少なくとも千葉には、何も即座に返せやしなかった。 「ずっと言いたかった事がある」 眼の奥で、彼のヒビ割れたグラスからこぽこぽと水が漏れ出す。 「今日まで、隣に居てくれて有難う」 毎日毎日暦だけが更新されていくこの世界で。 千葉はコンパスすら持たず、宛のない海底を泳いでいた。 誰の為になって。 何を自分の存在が齎している。 勝手に隣で寄り添っていれど、一緒に2人遭難しているだけだ。 地面に落ちる影の、面積を少し増してやっただけだ。 屈み込んでいた千葉が、膝を伸ばして立ち上がる。 対岸の窓硝子が砕け、見えない破片になって闇に溶けていく。 (そうか俺も) 照準を移したM2が、目前の壁を削り始めた。 煙と轟音を巻き上げ、2人の遮蔽物を強引に薙ぎ払う。 「お前の世界に居たんだな」 弾け飛んだ壁が牧の頬を抉った。 怯む隙もなく、残りの残骸を蹴破り怪物が喰らいついた。 駄目だ、袋小路だ。 逃げ場を奪われ悪寒を募らせる。 牧の眼前へ、殺意が恐ろしい速さで迫っていた。 もう喉元を抉るまで数メートル。 息を詰めた瞬間、相手の背後から突然水が噴出し始めた。

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