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episode.9-16
「研究を続ける事に意義は無いだろう。資料は部下に託した、唯一抗体に関する記録を残しておくべきだった、今更だがもう少し。後の世に少しでも福音が届くよう、残りの時間を掛けて頼みたい」
それで矢張り、太陽はイカロスが接近しているのを見ていた様だ。
「そうだね、未だ話す事があったんだが…客が来た。
彼を迎えなければならないので、」
太陽神はイカロスを撃ち落とそうと、熱線を飛ばした。
地上へ引き返すも、もう遅きに失する。
「…報告は以上にさせて貰う」
イカロスの翼はバラバラに溶け散った。
蝋で出来ていたのだから当然。
術を失ったイカロスは、海面へと墜落し、着水する。
この光景の様な仄暗い波間へ。
眠らせたラップトップを畳み、御坂康祐は時折光る窓の外を見据えた。
短いようで長い。席を立ち、隣室へと最低限の照明を潜る。
被弾に割れた窓硝子が散らかる。
廊下を跨ぎ、御坂はケースの中の婚約者へと歩を詰めた。
「シャーロット、何処に居る?」
真っ白い輪郭を、硝子越しに撫ぜる。
「渉に会わせてやれなくて悪かった」
もういい加減に時を動かす頃だった。
手を伸ばし、監視モニターへ繋がるプラグを引き抜く。
LEDライトを反射する目で、じっと主電源を眺め。
益体な指をパネルへ落とし解除へ滑らせる。
しかしその既、ふと違和感が御坂を止めていた。
(避難用エレベーターが稼働している)
地面を僅かに揺らす音は覚えがある。
最上階フロア、御坂の私室を出て直ぐの壁に隠された、緊急用昇降機のモーター音だ。
直ぐ様硝子ケースに背を向け、施錠してその場を離れる。
あの昇降機を使えるのは御坂本人か、14桁のキーを知る人間のみ。
考えを巡らせている間に、矢庭に辺りが騒がしくなった。
『――…ーを、開けろ…御坂!』
インターホンが叫ぶ。
口調から敵愾心を悟り、表情が険を増した。
『大鷹大臣の補佐官の、田邊だ!今直ぐ扉を開けろ』
「何も貴方と話す事は」
『…冗談だろう?御坂、お前カメラを良く見てみろ』
億劫な視線が玄関先の映像へ移る。同時に。
御坂の双眼は瞳孔と共に、限界まで拡大した。
『開けない訳が無い、ほうら可愛い可愛いお前の息子だ…もっと顔を見せてやりな』
其処には確かに、幾度も写真で目にした黒髪の1人息子が居た。
訳も分からず縋る様に見上げる相貌と、御坂は信じ難い気持ちで対峙していた。
廊下に面するシャッターを解除する。
所長はその場に佇んだまま、一団の足音を待ち構えた。
「…やあ、有り難う御坂先生」
2人の警備を携えた田邊は、見せつける様に少年の襟首へ銃口を押し付けた。
「話は沢山あるが、最優先からだな。君が懇意にしてるRICの連中に早く連絡したまえ」
「その子を離してくれるなら考えましょう」
「勿論“用が済んだら”返す、1つや2つじゃ済まんのでね…昔に焼却したらしい改良品も提出して貰わねば」
どうしてこんな所に居るのだろうな。
田邊の声も遠く、御坂は可哀想なほど怯えきった少年を眺めた。
片時も忘れず追っていた癖に、否その為か。
直ぐ触れる三次元へ居ようが、精巧なホログラムの様に現実味が乏しい。
「さあ、直ぐに電話を」
昨日より追い込まれた男の眼光が射抜く。
御坂は黙って白衣に手を入れ、自身の携帯電話を取り出した。
「…そうだ、戦闘機を持ち出したのは連中だ。ヤクザを薙ぎ払うように言え」
電話帳から目的を選び、回線を繋げる。
従順な所長を認め、田邊は喜色を漏らしていた。
単調な保留音は止まない。
御坂は携帯を構えたまま、憤る男を差し置き、未だ最も場違いな少年の姿を見た。
以前のP2における遭遇。
あれは合点が行く。監視の薄い日を選んで、神崎が束の間の再会を取り計らったのだろう。
然れど今日の邂逅。恐らく自ら少年はこの激戦区へ飛び込んだ。
何の為に。察するにただひとつ、形の無い親愛だけだ。
大した無謀だった。
いいや君にとって、それだけ大切にされてきた家族なのか。自分達が手放してから、現在に至るまで。
「おい…未だ繋がらんのか」
微塵の余白も無い声が詰め寄る。
何度目か分からぬ機械音の狭間。
不意に視線が合ってしまった。
顔を上げた少年の視界へ、真っすぐ御坂が映り込んでいた。
「…あ、」
呼吸が、痛い。
天然鉱石の瞳が、確かに知った者を見た安堵に包まれた。
「 」
小さな口が何か動いた。
御坂は一寸も逸らせず、食い入る様に見ていた。
二度目に相対して。
君が、よもや他人以上の目で自分を測る瞬間。
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