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episode.9-17
原因不明の痛みに、握り殺されそうになる。
真っ白な世界へ迷い込む己を、しかし突然、けたたましい音響が頭上から突き刺した。
「な…、何事だ!」
田邊が上擦った声を捻り出す。
先までのサイレンとは全く異色な。底から不安を掻き混ぜるような不協和音が反響した。
この警報は、戸和が持つ最後通告か。
1人状況を理解した御坂が、かっと目を見開く。
白衣へ隠していたH&Kを引き抜き、構えるや田邊の右手を凶器で弾き飛ばした。
「ぐ、あっ…」
「渉!」
名前を呼ばれ、少年が咄嗟に身を強張らせる。
「来い!」
窮地で挟む余念など一つも無かった。
警備の捕縛を擦り抜け、近寄る少年の手を掴み走り出していた。
背後から痛みに割れた、無茶苦茶な雑言が追う。
同時に警備員の弾が脇を掠め、御坂は咄嗟に小さな体を抱え上げた。
「ねえ!あの、病院で、会ったよね」
舌を噛みそうになりながら、子どもが喜々として仰ぎ見る。
「何で俺の名前知ってるの?」
そんなもの、君が生まれる前から知っている。
目元を緩めただけで何も言わず、落ちそうな少年を抱き直す。
正直行く宛は無かった。
非常用エレベーターで降下した場合、1階で別の人間に待ち伏せされる懸念があった。
だが廊下を曲がった所で、視界へ見慣れた黒服が飛び込んだ。
遺体回収業者サーヴァント。
未だこんな僻地へ残留する彼らに、御坂は訝しげに速度を緩めていた。
「――どうぞ止まらないで下さい」
運搬専属である彼らが慣れない銃を構え、淡々と2人へ先を促した。
「屋上にヘリを回しています、その子供と一緒にお逃げ下さい」
表情の伺えない顔面は只管に前を向く。
此処へ来ての献身に、つい理由を問おうとした。御坂を遮り、尚も視線を寄越さぬ1人が言った。
「貴方様は行き場の無い我々にすら、今日まで使命を下さいましたね。凡人には知れぬ苦慮をお抱えでしょうが、もうご自身の人生にお戻り頂きたい」
端から自分の我儘に生きていた。そう思う程には自由だった。
ただ頑として動かぬ姿に眉を寄せ、所長は彼らの脇を擦り抜けていた。
「…君達も自分の安全を優先しなさい」
「仰せの儘に」
「それから戸和監査官を捜して、これを渡してくれないか」
伸ばした部下の手に、鈍く輝く鍵が落ちる。
「ありがとう」
本音を残し、我が子を連れて屋上へ駆け出す。
過ぎ去った現場から、散発的な銃声が生まれた。
一体幾らの人間が死に、このプロジェクトに胸を痛めたのだろう。
だとして無残に、微塵もプラスに触れない針がリアルだ。
努力は報われる訳じゃない。
光は何時でも明るい訳じゃない。
にも関わらず、君は。
腕に抱えた少年を見やった。瞬く透明な宝石箱が見返す。
どうしてそんな無限の可能性や希望を、褪せる事無く生み続けているのか。
「先生はここで働いてるの?」
屋上への段を上がる間にも、渉は脳天気に質問を浴びせてきた。
誰にでもこうなのか。
遠慮のない人懐っこさが、母親を思い出させて笑ってしまった。
「あれ…?何処行くの?屋上だよね」
「ヘリが来ているから、君は乗って帰りなさい」
「駄目だよ!」
防火扉を開け放ち、闇夜の風が周囲を突き抜けた。
途端必死な顔をした少年が、御坂の白衣へ追い縋っていた。
「俺、その…友達を捜しに来たんだ。大事なんだ。見つけないと、帰れないよ」
「渉、勇気と無謀は違う」
ようやっと小さな身を地面へ降ろした。
屈んで向き直る優しい相貌に、ぐっと騒いでいた口が押し黙る。
「さっき捕まって殺されかけたのに、これ以上君が動いても危ないだけだ」
「でも…」
「きっと哀しいよ。友達が知らない所で、君が傷ついたら」
空気に融解しそうな柔らかい声だ。
2人の後方からヘリのエンジン音が迫り、巨大な羽から暴風を巻き上げる。
非日常な空間で、渉は不可思議なほど落ち着いていた。
じっと自分を見詰める双眼が、あまりに芯から慮っていて。
「君が此処まで追ってきた事、友達に伝えておく。約束しよう」
「…分かるの?」
俺の友達。
御坂は笑って低い頭を撫でた。勿論、と魔法使いみたく頷いて。
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