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episode.9-19
でもそうじゃない。
正解の道筋は、その選択じゃ無い。
渉の、彼らの歩む将来が日照りであるように。
この国の行く末が、どうか宛のない戦乱から遠ざかるように。
取るべき行動は、本当は端から知っていた。
御坂は静かに感情を仕舞い込み、屋上で正しい展開を待っていた。
(康祐、私は貴方みたいに大それた研究なんて出来ないけど)
今日みたいな闇夜の下、隣で弾んでいた婚約者の声が蘇る。
(子供っていう、とんでもない遺産を残せるのよ。物凄い力を持った…だって、愛は人を最高に強くさせるから)
万物よりも愛しいって感情は。
時に良く、時に悪く。
彼女はそう言って、運命が決まる前から渉を尊んでいた。
自分の足掻いた数年間は、只管に彼女を裏切るものだったが。
新しい風を受けた御坂の表情が、和らぐ。
背後で甚くゆっくりと、終わりのシナリオが開いていた。
屋上の防火扉が軋み、待ち受けた気配が近付いた。
「やあ」
予期していた姿を振り返る。
出口には赤黒いジャケットを靡かせた、年若い青年が立っていた。
僅かに喘鳴する肩で銃を構える。
激戦の盤上を超えて、ナイトが王手を掛けていた。
御坂は至極穏やかな顔で彼を待った。
何かを妨害する悪として、誰かを尊んだ正義として。
このシーンまで辿り付いた青年が、傷だらけの瞳で宿敵を映す。
相対する彼は平静だった。
それが突然、痛みに負けて表情を歪めた。
乾いた風を幾つも通して、何度目かのサイレンが遠くで突き抜けて。
何も起こらない時を経た、
牧の片目から、数年越しに融解した涙が落ちていた。
「…返してくれ」
辛うじて空気を震わせる声。
詰るでも、責め立てるでもなく。
漸く目標を見つけた青年が零したのは、一言の懇願だった。
本当に望んでいたのはそれだった。
憎んで、殺したい訳じゃない。犯したとして、ひとつも満たされる器官は無い。
でもどうしたって不可能なら、悲しみを代替にぶつける他無い。
この神と謳われた男が、最も理解している様に。
「ごめんね」
青年に倣って、飾りのない謝罪を答える。
真摯に見詰める先で、牧は震える指を引く。
衝撃を伴う銃声。
2人だけの隔絶された屋上、数年間焦がれた幕引きが訪れていた。
『――…い、…――々は』
月は立ち退いた。
『皆、な…通――…』
雲は最初から居なかった。
『全…等し、退』
見える役者は降りた。
海辺の夜は寂しく過ぎた。
『――…ての職員は、武器を…捨て、直ちに投降せよ。我々は、一切の反撃を…此処に、放』
観測した空は、端が白んでいた。
午前4時を回った今日、
季節にしては異常に早い始まりが迫っていた。
穴だらけの国産車の列から、固唾を呑み夜明けの作戦を図っていた警備から。
万物へ平等に、割れたスピーカー越しの通達が降り注ぐ。
『賠償を含んだ…話し合いの場を、どうか対話を以って、これ以上の犠牲を無くそう――』
朝を待ち望んだ鳥が、連れ立って彼らの視界を過ぎる。
肌寒い外気が抜け、車内から降りた侵入者らは肩を擦った。
そうして訝しげに顔を上げ、長文を流すスピーカーを仰いでいた。
『――…繰り返す、私、作戦本部長の大鷹は…停戦を、請願するものである…』
ぽかんと、銃を握り締めていた警備の口が開く。
誰もが急速な展開に置き去られ、ただ空を見ている。
僅か数時間の激動、のち。
今になって戦いの虚しさを知り、
突然力の抜けた、行き場の無い決意を持て余して。
『研究所は…――私は、現在までの非を認め、君達にし、真実を公開、する』
見渡せる一切が動きを止めていた。
長蛇の列の隙間、降り立った大城が煙草へ火を点け、隣の部下を引っ手繰った。
「おい…向こうがああ言うたはんねや。さっさと道開けさして、こっちも上のもん通さんかいや」
「…え、も…もう宜しいので?」
あっさりと話に乗るなら、現在までの怒りは何だったのか。
手を拱く部下を叩き、大城は早々に整備を動かそうと歩き出す。
「神崎のボケナスが居るなら、こっちも動けんやろが。姿勢は見せたんやから、建設的に取れるもん取りに行くんじゃ」
狡猾なヤクザらしく、次手を睨んで方向転換する。
彼の冷めた対応に弾かれた一帯がざわめき、徐々にエンジンを掛け始めた。
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