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episode.9-20
『――…研究棟より、役員一同…へ向かう…尚、負傷者の搬』
至近距離を烏が過ぎった。
幾重にも罅の入った窓の外、零区はじわじわと、しかし確実に解体の時を迎えていた。
『対話を、してくれるのであれば…先ず、病棟を解放する』
視界を光がちらついた。
薄目を開け、戸和は遠方で真っ白に変色したサイレンを認める。
数秒気を失っていたのか。
死を覚悟したが、独特の匂いは零区そのものだ。
筋に力を入れ、痙攣する身体を奮い起こす。
また咳き込み、どうにか自分の両足で立ち上がり、同じく対岸で喘鳴する存在を捉えた。
千葉は応急処置の手を止め、じっと外を見ていた。
長々と止まない放送を耳に、酷く哀しい目で。
遅れて理解した青年が総毛立つ。
この演説は投了だ。
戦闘を放棄した作戦本部の、研究所の無条件降伏で間違いなかった。
(上は)
血の気が引いていた。
口を開きかけ、俄に携帯の着信音が遮った。
目前の千葉が上着を探り、通信機の画面を灯す。
戸和は見た。
液晶を読み終えた青年が、さっと表情を消す瞬間を。
「――殺したのか?」
指摘に千葉の面が跳ね上がった。
文章は言う通り、牧による完了報告だった。
否定を吐けない千葉の眉間へ、振り上げたM2の銃口が向く。
どうしようもない情動で。
説明出来る理論なんて無い。攻守を逆転した青年は、燻っていたありったけの憎しみを放つ。
殺す。
もう怒りなのか、悲嘆なのか。
訳の分からないエナジーで、戸和の銃口はがたがたと震える。
お前が復讐したのなら、また追われる覚悟があった筈だ。
そう未だ終わらない。
回り続ける、何時迄もこの歪な、
誰が始めたかも分からない、捻れた一巡の。
千葉は両目を開いた。
予期せぬ音がして、床には銃器が転がっていた。
何が引き金を止めたのか。
M2を取り落とした戸和は、再び拾うこともなく、自由の効かない脚で踵を返していた。
「…、戸」
「やる事がある」
膠もなく遮断した。
これ以上、両者が関わる術は無かった。
生き長らえてしまった今、しかし残り少ない命を抱え使命があった。
青年は蹌踉めきながら最上階を目指す。
地上は次第にエンジンが湧き、異なる喧騒に包まれる。
その敗北を後目に、只管に階段を上った。
ヘリは恐らく、未だ用意がある筈だ。
「――監査官!」
ところが中途の踊り場を踏んだ時。
青年の後ろ姿を、見知った遺体処理業者の部下が呼び止めた。
「…何してる」
非戦闘員の彼らが、未だこんな所で。
「貴方様を捜しておりました、御坂所長より預かり物が」
言い終え、彼の目が青年の容体に留まる。
「いえ…その前に、治療を」
「良い、渡してくれ」
御坂が何か預けたのか。
自分が最後に彼と別れて、牧が追いつく迄に。
聞き分けの良い部下は、直ぐに鍵を乗せた手を差し出した。
ディンプルともウェーブキーとも違う。
恐らく業者に特注で作らせた形状は、所長の私室のものだった。
「監査官、所長は…」
「付いて来い」
青年は台詞を振り切り、再び階段を上り始める。
御坂の私室には2つの格納庫があった。
1つは確か表に見せたフェイクだ。
更に奥、探知機まで用意されたもう1つへ、後生大事に仕舞ってあったとすれば。
最上階へ到着した両者は、銃痕夥しいフロアを過ぎる。
脚元には制服を着込んだ死体が、幾つか血塗れで転がっていた。
サーヴァント。スカベンジャーと疎まれた彼らもまた、御坂が職を新設して引き取った元被験者だ。
彼らの収容を後に、戸和は目的へと急ぐ。
私室へ潜り、書庫のセキュリティを解除し、出現したドアへ鍵を差し込んだ。
開いた空間は矢張り、ただの資料庫よりも数段広かった。
暗がりの照明を探り、2人は堆く積まれた保管箱を発見した。
「――…これは」
「全て初期型抗体だ。持ち出せ」
言って中へ踏み出し、特設された金庫を開く。
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