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Epilogue - Egoist War -2
「副主任」
沈黙を救ったのは相手だった。
佐瀬の姿也をした男は、姿勢は正したまま淡々と述べた。
「君は何か、勘違いをしている様だけど…我々がマーケットに居た理由はご存知だろう」
作らない声を聞いたのは久々だ。
ぼんやり心の隅で悠長に思う。
「私たちは皆、何かしらの罪を犯し…表で人として生きていけなくなったが故に、あの市場で最後の消費を待っていたんだ。何なら全員、肉塊に処理されても良い競りだった」
豚や牛の様な家畜に同じ、確かに一行は穴へ繋がれていた。
戸籍も人権も、衣服すら無く。
「しかし君は大金をくれた。人並み以上の賃金と、第二の人生までも。言う通り訓練はキツかったが、俺達はまた人間として生きられた」
お前らの意志なんて無かったのに。
組んだ両手へ、項垂れる千葉が額を預けた。
「恨んでなんか居ない、君達を誰一人」
ずっと聞くのが怖かった。
床下へ閉じ込めていた対話を、予想だにしない言葉がこじ開けた。
我武者羅にエゴの儘に走り続け。
大人になって振り返れば、自分の踏み荒らした道が取り返しの付かない大罪だと知る。
千葉は唇を震わせ、怯える自分を嘆く。
「…俺は、でも、自分の勝手で」
「それがどうした?私だって勝手で此処に来た。ギブ・アンド・テイクだ、素晴らしい取引だった」
やっと面を上げ、懺悔を繋ぎかける。
ところが俄に扉が開き、底抜けに明るい声が部屋を一変させた。
「――佐瀬!千葉も、後で写真撮ろうよ!」
こんな時も目を輝かせた渉が、空気も気にせず走り寄る。
呆気に取られ、千葉は全部の台詞を飲み込んでしまった。
因みに解散の旨は、昨日少年にも伝えていた。
今度こそ泣き喚くと思いきや。
渉は寂しそうに口を尖らせ、「分かった」と渋々了承を寄越しただけだった。
「ああ、そうだな」
「あとさ、携帯のアドレスも教えて!今度ご飯食べに行こうって言うから」
職員の表情が強張る。
牧は露呈を危惧し、社外での一切の接触を禁止していた。
指示を請う目が伺っていた。
肩を落とし、千葉は首を振って自嘲ぎみに笑んだ。
もう雇用関係で無いのなら。この先何があろうと、彼らを縛る権利は微塵も無かった。
「…良いよ、行こう」
「本当!?」
「ああ、中華はどうだよ」
はにかむ相手に、純鉱石の瞳が瞬く。
「佐瀬、中華嫌いじゃなかったっけ」
しまったとは誰も思わなかった。
千葉ですら、不思議なほど穏やかな気持で光景を看過した。
「でも好きになったんだ」
言い切る男をまんじりともせず見詰める。
大きな目が揺れ、本心を映す。
「そっか…」
初めは虚を突かれた風だった。
然れど引き結んだ口端が緩み、次第に頬が緩む。
そうして漸く自分の言葉を発した名も無き彼に、みるみる顔を綻ばせた少年が飛び付いた。
「そっか!じゃあ中華にしよう、約束だよ!」
じゃれつく無邪気な気持ちに、彼は自らの意志で笑う。
追い求めた世界は哀しくも、まったくの無作為に自然と生み出されていた。
分かってる。
半ば諦めていた笑顔を前に、千葉は何かが込み上げる胸を押さえる。
結局独り善がりで、誰も信じていやしなかったんだ。
自覚したなら今から変えたいとは願う。
しかし、この先自分はどうするのだろう。
行方の分からぬ牧も簡単には死ねない。アイツは過去の贖罪をすべく、生きる苦しみを敢えて背負う人間だから。
「千葉、渉」
廊下から不意に声がした。
思考から引き上げられ、両者が一斉に首を向けた。
「話が済んだなら来い」
入り口には腕を束ねた寝屋川が立っていた。
顎を捻り、仕草で付いて来いと促す。
千葉は渉を連れ、彼に従うまま執務室へと歩いた。
図らずも緊張していた。寝屋川を前にする時は、いつも鋭い瞳の色に臆している。
「…俺も今朝神崎から聞いた所だがな、奴の意向はお前にとってどうなんだ」
対面するや、寝屋川の視線は千葉に向いた。
渉は紅茶を与えられ、喜々として口を付けている。
「社長の意向なら、反論する気もありませんが…」
なんせ借金7億だ。未だ10分の1も返済していない。
「その、牧が帰ってきた時に」
声が落ち込む。
奴が帰ってきた時に、家が無ければ何と思うだろう。
感傷だろうが何だろうが。この場所には、確かに八嶋らと過ごした思い出が染み付いている。
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