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Epilogue - Egoist War -3
「俺がイラクに居た頃の話だが」
ふと回顧を始めた上司に、千葉は動きを止めていた。
珍しかった。この嘗ての将校が、戦場の話を持ち出すのが。
「交戦地帯で逃げ遅れた民間人に会った。首も座らないガキを抱いて、頻りに実家の心配をしてた。親を残してきたからと」
彼女は子供をあやしながら、どうしても家に帰りたいと縋ったという。
宥めながら分隊が家まで案内してやれば、柱一本ない真っさらの空き地になっていた。
ストロボが投げられた一帯は、爆撃で全てを破壊されていた。
口を抑え、女性は無言でボロボロ泣いた。
暫くして動こうとしない彼女を、寝屋川は避難キャンプへ連れて行った。
無線で似た夫婦が居ると連絡が入っていたのだ。
「…結果として、彼女は両親と再会した。既に避難していた親を見つけ、キャンプで海兵隊が引き合わせたからな。その時のやり取りは今も覚えてる」
家屋も思い出も焼かれた彼女は、蹌踉と唯一残った者へ歩み寄った。
両親は涙を流し、両手を伸ばした。
おかえり、と言った。
娘がただいま、と泣いた。
其処には誰もが認める、家が出来ていた。
「お前と渉が迎えてやりゃ良い。いつも考え過ぎなんだ。話で通じねえなら、デカい頭を物理で殴って分からせてやりな」
そんな単純明快に生きられたら最高だ。
話の中途からまた俯いた千葉が、痛み出した両目を覆った。
渉はすっかり紅茶を飲み干していた。
それで隣の青年を振り返るや、含み笑いで覗き込もうとした。
「ぶふっ、千葉ってばほんと泣き虫」
「泣いてねえよ」
鼻を啜る青年が顔を上げ、反撃とばかりに少年の頭を掻き混ぜる。
「俺知ってる、いっつも泣いてんじゃん」
「うるせえな」
「さてお前はどうすんだ、渉」
じゃれる両者の動きが固まる。
隣を見て、再度前を見た少年は、迷いもなくあっけらかんと言い切った。
「俺、牧のこと捜しに行く」
捜しに行くったって。
千葉ですらあたりの付かない目的に、単騎で挑むなんて無謀に過ぎる。
「戸和のことも。遥にはもう言ったよ、そしたら良いって言われた」
「流石の放任主義…」
「千葉も一緒に来てよ」
青年の身が竦む。
確かに本部を解散する今、千葉には取り立ててやる事もない。
恐らく移転後に呼び戻されはするだろうが、ひと月は掛かりそうだった。
「俺すごいんだぜ、なんか何でもできる気がする」
千葉は訳の分からん面をしていたが。
少年は人知れず首元を見やり、紐に掛かった指輪を握り締めていた。
「何それ…慢心は身を滅ぼすんだぞ」
「まんし?なんて?」
「おいガキ共。楽しそうなのは構わねえが、鞄に弁当詰めてピクニックでも行く気か」
ソファーに身を投げ出した英雄は、些か楽観的過ぎる少年を呆れて眺めていた。
「遊びじゃねえよキャプテン、本気だぜ」
「だったら車ぐらい出してやるよ、生憎3時の菓子は持ってねえがな」
渉は飛び上がらんばかりに喜んだが。
贅沢過ぎる同行の申し出に、もう一人は暫し留まって目を白黒させていた。
新たな旅立ちに羽を広げる者も居れば。
今日で使えない羽を、よく哀れんで労う者も居た。
封鎖された零区の末端。
萱島は自身の経営する映画館の中央、特等席で最後の上映を眺めていた。
1本約30分のショートフィルム。
次いで1時間30分の長編。
大抵を2本立てで流し、しかし客は2000円も払えば入り浸り放題だった。
プツプツと悪い音響がノイズを吐き、稀に脚元には正体も分からぬ虫が横切った。
このいい加減な粗さが、スナッフビデオには寧ろ持って来いなのだ。
「最悪だよまったく、クズの憩いの場だったのによ」
商売抜きにしても、我ながら良く出来た掃き溜めだった。
他人が他人を殺し悦ぶ。
救いようもない下衆さが、零区という街を端的に表している。
やがて役人の監査が入り込み、この映画館も撤去に追い込まれる。
自分に感傷なんて無縁だった筈が。
何故か最後の1杯を惜しんで舐める如く、見飽きた血飛沫をじっと確かめていた。
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