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第1―4話
新聞記者だの文化映画の演出家などは賤業中の賤業であった。
彼等の心得ているのは時代の流行ということだけで、動く時間に乗り遅れまいとすることだけが生活であり、自我の追求、個性や独創というものはこの世界には存在しない。
彼等の日常の会話の中には、会社員だの官吏だの学校の教師に比べて、自我だの人間だの個性だの独創だのという言葉が氾濫し過ぎているのであったが、それは言葉の上だけの存在であり、有り金をたたいて女を口説いて二日酔いの苦痛が人間の悩みだと言うような馬鹿馬鹿しいものなのだった。
ああ日の丸の感激だの、兵隊さんよ有難う、思わず目頭が熱くなったり、ズドズドズドは爆撃の音、無我夢中で地上に伏し、パンパンパンは機銃の音、およそ精神の高さも無ければ一行の実感すらも無い架空の文章に憂き身をやつし、映画を作り、戦争の表現とはそういうものだと思い込んでいる。
又ある者は軍部の検閲で書きようがないと言うけれども、他に真実の文章の心当りがあるわけでなく、文章自体の真実や実感は検閲などには関係のない存在だ。
要するにいかなる時代にもこの連中には内容が無く空虚な自我があるだけだ。
流行次第で右から左へどうにでもなり、通俗小説の表現などからお手本を学んで時代の表現だと思い込んでいる。
事実時代というものは、ただそれだけの浅薄愚劣なものであり、日本二千年の歴史を覆すこの戦争と敗北が果たして人間の真実に何の関係があったであろうか。
最も内省の稀薄な意志と衆愚の盲動だけによって一国の運命が動いている。
部長だの社長の前で個性だの独創だのと言い出すと顔をそむけて馬鹿な奴だという言外の表示を見せて、兵隊さんよ有難う、ああ日の丸感激、思わず目頭が熱くなり、OK、新聞記者とはそれだけで、事実、時代そのものがそれだけだ。
「師団長閣下の訓辞を3分間もかかって長々と写す必要がありますか。
職工達の毎朝の祝詞のような変テコな唄を一から十まで写す必要があるのですか」
と羽鳥が部長に訊いてみると、部長はプイと顔を背けて舌打ちして、やにわに振り向くと貴重品の煙草をグシャリと灰皿へ押し潰して羽鳥を睨みつけて、
「おい、怒濤の時代に美が何物だい、芸術は無力だ!
ニュースだけが真実なんだ!」
と怒鳴るのであった。
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