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第1―5話

演出家どもは演出家どもで、企画部員は企画部員で、徒党を組み、徳川時代の長脇差と同じような情誼の世界を作り出し義理人情で才能を処理して、会社員よりも会社員的な順番制度を作っている。 それによって各自の凡庸さを擁護し、芸術の個性と天才による争覇を罪悪視し組合違反と心得て、相互扶助の精神による才能の貧困の救済組織を完備していた。 内にあっては才能の貧困の救済組織であるけれども外に出でてはアルコールの獲得組織で、この徒党は国民酒場を占領し3、4本ずつビールを飲み酔っ払って芸術を論じている。 彼等の帽子や長髪やネクタイや上着は芸術家であったが、彼等の魂や根性は会社員よりも会社員的であった。 羽鳥は芸術の独創を信じ、個性の独自性を諦めることが出来ないので、義理人情の制度の中で安息することが出来ないばかりか、その凡庸さと低俗卑劣な魂を憎まずにいられなかった。 彼は徒党の除け者となり、挨拶しても返事もされず、中には睨む者もある。 羽鳥は思い切って社長室へ乗り込んで、 「戦争と芸術性の貧困とに理論上の必然性がありますか。 それとも軍部の意志ですか。 ただ現実を写すだけなら、カメラと指が2、3本あるだけで沢山ですよ。 如何なるアングルによってこれを裁断し芸術に構成するかという特別な使命のために我々芸術家の存在が―」 社長は途中で顔を背けて苦りきって煙草をふかし、お前はなぜ会社を辞めないのか、徴用が怖いからか、という顔付きで苦笑を始め、会社の企画通り世間並みの仕事に精をだすだけでそれで月給が貰えるなら余計なことを考えるな、生意気過ぎるという顔付きになり、一言も返事をせずに、帰れという身振りを示すのであった。 賤業中の賤業でなくて何物であろうか。 羽鳥はひと思いに兵隊にとられ、考える苦しさから救われるなら、敵弾も飢餓もむしろ太平楽のようにすら思われる時があるほどだった。 羽鳥の会社では『ラバウルを陥すな』とか『飛行機をラバウルへ』とか企画をたてコンテを作っているうちに、敵はもうラバウルを通りこしてサイパンに上陸していた。 『サイパン決戦!』企画会議も終らぬうちにサイパン玉砕、そのサイパンから敵機が頭上に飛び始めている。 『焼夷弾の消し方』 『空の体当り』 『ジャガイモの造り方』 『一機も生きて返すまじ』 『節電と飛行機』 不思議な情熱であった。 底知れぬ退屈を植えつける奇妙な映画が次々と作られ、生フィルムは欠乏し、動くカメラは少なくなり、芸術家達の情熱は白熱的に狂躁し『神風特攻隊』『本土決戦』『ああ桜は散りぬ』何ものかに憑かれた如く彼等の詩情は興奮している。 そして蒼ざめた紙の如く退屈無限の映画が作られ、明日の東京は廃墟になろうとしていた。 羽鳥の情熱は死んでいた。 朝、目が覚める。 今日も会社に行くのかと思うと眠くなり、うとうとすると警戒警報が鳴り響き、起き上がりゲートルを巻き、煙草を一本抜き出して火をつける。 ああ会社を休むとこの煙草が無くなるのだな、と考えるのであった。 ある晩、遅くなり、ようやく終電にとりつくことのできた羽鳥は、すでに私線が無かったので、相当の夜道を歩いて我が家へ戻ってきた。 明かりをつけると奇妙に万年床の姿が見えず、留守中誰かが掃除をしたということも、誰かが入ったことすらも例がないので、訝りながら押し入れを開けると、積み重ねた布団の横に白痴の千秋が隠れていた。

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