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第1―9話

この戦争は一体どうなるのであろう。 日本は負け、敵は本土に上陸して、日本人の大半は死滅してしまうかもしれない。 それはもうひとつの超自然の運命、いわば天災のようにしか羽鳥には思われなかった。 羽鳥にはしかしもっと卑小な問題があった。 それは驚くほど卑小な問題で、しかも眼の先に差し迫り常にちらついて離れなかった。 それは彼が会社から貰う二百円ほどの給料で、その給料がいつまで貰うことができるか、明日にでもクビになり路頭に迷いはしないかという不安であった。 彼は月給を貰う時、同時にクビの宣告を受けはしないかとビクビクし、月給袋を受け取るとひと月延びた命のために呆れるぐらい幸福感を味わうのだが、その卑小さを顧みていつも泣きたくなるのであった。 彼は芸術を夢みていた。 その芸術の前ではただ一粒の塵埃でしかないような二百円の給料が、どうして骨身に絡み付き、生存の根底を揺さぶるような大きな苦悶になるのであろうか。 生活の外形のみのことではなくその精神も魂も二百円に限定され、その卑小さを凝視して気も違わずに平然としていることが尚更情けなくなるばかりであった。 「怒濤の時代に美が何物だい。 芸術は無力だ!」 という部長の馬鹿馬鹿しい大声が、羽鳥の胸にまるで違った真実をこめ鋭いそして巨大な力で食い込んでくる。 ああ日本は負ける。 泥人形の崩れるように同胞たちがバタバタ倒れ、吹き上げるコンクリートや煉瓦の屑と一緒くたに無数の足だの首だの腕だのが舞い上がり、木も建物も何も無い平な墓地になってしまう。 どこへ逃げ、どの穴ぼこへ追い詰められ、どこで穴もろとも吹き飛ばされてさまうのだか、夢のような、けれどもそれはもし生き残ることができたら、その新鮮な再生のために、そして全然予測のつかない新世界、石屑だらけの野原の上の生活のために、羽鳥はむしろ好奇心が疼くのだった。 それは半年か一年先の当然訪れる運命だったが、その訪れの当然さにもかかわらず、夢の中のような遥かな戯れにしか意識されていなかった。 眼の先の全てを塞ぎ、生きる希望を根こそぎさらい去るたった二百円の決定的な力、夢の中にまで二百円に首を絞められ、うなされ、まだ27の青春のあらゆる情熱が漂白されて、現実に既に暗黒の荒野の上を茫々歩くだけではないか。 羽鳥は女が欲しかった。 女が欲しいという声は羽鳥の最大の希願ですらあったのに、その女との生活が二百円に限定され、鍋だの釜だの味噌だの米だのみんな二百円の呪文を負い、二百円の呪文に憑かれた子供が生まれ、女がまるで手先のように呪文に憑かれた鬼と化して日々ぶつぶつ呟いている。 胸の灯りも芸術も希望の光もみんな消えて、生活自体が道端の馬糞のようにグチャグチャに踏みしだかれて、乾きあがって風に吹かれて飛び散り跡形も無くなっていく。 爪の跡すら、無くなっていく。 女の背にはそういう呪文が絡み付いているのであった。 やりきれない卑小な生活だった。 羽鳥自身にはこの現実の卑小さを裁く力すらも無い。 ああ戦争、この偉大なる破壊、奇妙きてれつな公平さでみんな裁かれ日本中が石屑だらけの野原になり泥人形がバタバタ倒れ、それは虚無のなんという切ない巨大な愛情だろうか。 破壊の神の腕の中で羽鳥は眠りこけたくなり、そして彼は警報が鳴るとむしろ生き生きしてゲートルを巻くのであった。 生命の不安と遊ぶことだけが毎日の生き甲斐だった。 警報が解除されるとガッカリして、絶望的な感情の喪失が又はじまるのであった。

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