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第1―13話

ああ人間には理知がある。 如何なる時にも尚いくらかの抑制や抵抗は影を留めているものだ。 その影ほどの理知も抑制も抵抗も無いということが、これほど浅ましいものだとは! 千秋の顔と全身にただ死の窓へ開かれた恐怖と苦悶が凝りついていた。 苦悶は動き、苦悶はもがき、そして苦悶が一滴の涙を落としている。 もし獣の眼が涙を流すなら、獣が笑うと同様に醜怪きわまるものであろう。 影すらも理知の無い涙とは、これほども醜悪なものだとは! 爆撃のさなかに於いて、4、5歳ないし6、7歳の幼児達は奇妙に泣かないものである。 彼等の心臓は波のような動悸を打ち、彼等の言葉は失われ、異様な目を大きく見開いているだけだ。 全身に、生きているのは目だけであるが、それは一見したところ、ただ大きく見開かれているだけで、必ずしも不安や恐怖というものの直接劇的な表情を刻んでいるというほどではない。 むしろ本来の子供よりも却って理知的に思われるほどの情意を静かに殺している。 その瞬間にはあらゆる大人もそれだけで、或いはむしろそれ以下で、なぜならむしろ露骨な不安や死への苦悶を表すからで、いわば子供が大人よりも理知的にすら見えるのだった。 白痴の苦悶は子供達の大きな目とは似ても似つかぬものであった。 それはただ本能的な死への恐怖と死への苦悶があるだけで、それは人間のものではなく、虫のものですらもなく、醜悪なひとつの動きがあるのみだった。 やや似たものがあるとすれば、一寸五分ほどの芋虫が五尺の長さに膨れ上がってもがいている動きぐらいのものだろう。 そして目に一滴の涙を零しているのである。 言葉も叫びも呻きも無く、表情も無かった。 羽鳥の存在すらも意識してはいなかった。 人間ならば、かほどの孤独が有り得る筈はない。 恋人とただ二人押し入れにいて、その一方の存在を忘れ果てるということが、人の場合に有り得るべき筈はない。 人は絶対の孤独というが、羽鳥の存在を自覚してのみ絶対の孤独も有り得るので、かほどまで盲目的な、無自覚な、絶対の孤独が有り得ようか。 それは芋虫の孤独であり、その絶対の孤独の相の浅ましさ。 心の影の片鱗も無い苦悶の相の見るに耐えぬ醜悪さ。 爆撃が終わった。 羽鳥は千秋を抱き起こしたが、羽鳥の指の一本が胸に触れても反応を起こす千秋が、その肉欲すら失っていた。 このむくろを抱いて無限に落下し続けている、暗い、暗い。 無限の落下があるだけだった。 羽鳥はその日爆撃直後に散歩に出て、なぎ倒された民家の間で吹き飛ばされた女の足も、腸の飛び出した女の腹も、ねじ切れた女の首も見たのであった。 3月10日の大空襲の焼け跡もまだ吹き上げる煙をくぐって羽鳥はあてもなく歩いていた。 人間が焼鳥と同じようにあっちにこっちに死んでいる。 ひとかたまりに死んでいる。 まったく焼鳥と同じことだ。 怖くもなければ、汚くもない。 犬と並んで同じように焼かれている死体もあるが、それは全く犬死で、しかしそこにはその犬死の悲痛さも感慨すらも有りはしない。 人間が犬の如くに死んでいるのではなく、犬と、そして、それと同じような何物かが、ちょうど一皿の焼鳥のように盛られ並べられているだけだった。 犬でもなく、もとより人間ですらもない。 白痴の千秋が焼け死んだら―土から作られた人形が土に還るだけではないか。 もしこの街に焼夷弾が降り注ぐ夜がきたら…羽鳥はそれを考えると、変に落ち着いて沈み考えている自分の姿と自分の顔、自分の目を意識せずにいられなかった。 俺は落ち着いている。 そして、空襲を待っている。 よかろう。 羽鳥はせせら笑うのだった。 俺はただ醜悪なものが嫌いなだけだ。 そして、元々魂の無い肉体が焼けて死ぬだけのことではないか。 俺は千秋を殺しはしない。 俺は卑劣で、低俗な男だ。 俺にはそれだけの度胸は無い。 だが、戦争が、たぶん千秋を殺すだろう。 その戦争の冷酷な手を千秋の頭上へ向けるためのちょっとした手掛かりだけを掴めばいいのだ。 俺は知らない。 多分、何か、ある瞬間が、それを自然に解決しているにすぎないだろう。 そして羽鳥は空襲をきわめて冷静に待ち構えていた。

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