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第1―16話

小さな十字路へ来た。 流れの全部がここでも一方を目指しているのはやはりそっちが火の手が最も遠いからだが、その方向には空き地も畑も無いことを羽鳥は知っており、次の敵機の焼夷弾が行く手を塞ぐとこの道には死の運命があるのみだった。 一方の道はすでに両側の家々が燃え狂っているのだが、そこを越すと小川が流れ、小川の流れを数町上ると麦畑へ出れることを羽鳥は知っていた。 その道を駆け抜けて行くひとりの影すらもないのだから羽鳥の決意もにぶったが、ふと見ると500メートルぐらい先の方で猛火に水をかけているたったひとりの男の姿が見えるのであった。 猛火に水をかけるといっても決して勇ましい姿ではなく、ただバケツをぶら下げているだけで、たまに水をかけてみたり、ぼんやり立ったり歩いてみたり変に痴鈍な動きで、その男の心理の解釈に苦しむような間の抜けた姿なのだった。 ともかくひとりの人間が焼け死にもせず立っていられるのだから、と、羽鳥は思った。 俺の運を試すのだ。 運。 まさに、もう、残されたのは、ひとつの運、それを選ぶ決断があるだけだった。 十字路に溝があった。 羽鳥は溝に布団を浸した。 羽鳥は千秋と肩を組み、布団を被り、群集の流れに訣別した。 猛火の舞い狂う道に向かって一足歩きかけると、千秋は本能的に立ち止まり、群集の流れる方へ引き戻されるようにフラフラとよろめいて行く。 「馬鹿!」 羽鳥は千秋の手を力一杯握って引っ張り道の上へよろめいて出ている千秋の肩を抱きすくめて 「そっちへ行けば死ぬだけなのだ」 千秋の身体を自分の胸に抱きしめて、囁いた。 「死ぬ時は、こうして、二人一緒だよ。 怖れるな。 そして、俺から離れるな。 火も爆弾も忘れて、おい、俺達二人の一生の道はな、いつもこの道なのだよ。 この道をただ真っ直ぐ見つめて、俺の肩に縋りついてくるがいい。 分かったね」 千秋はコクンと頷いた。 その頷きは稚拙であったが、羽鳥は感動のために狂いそうになるのであった。 ああ、長い長い幾たびかの恐怖の時間、夜昼の爆撃の下に於いて、千秋が表した初めての意志であり、ただ一度の答えであった。 そのいじらしさに羽鳥は逆上しそうであった。 今こそ人間を抱きしめており、その抱きしめている人間に、無限の誇りを持つのであった。 二人は猛火をくぐって走った。 熱風の塊の下を抜け出ると、道の両側はまだ燃えている火の海だったが、すでに棟は焼け落ちた後で火勢は衰え熱気は少なくなっていた。 そこにも溝が溢れていた。 千秋の足から肩の上まで水を浴びせ、もう一度布団を水に浸して被り直した。 道の上に焼けた荷物や布団が飛び散り、人間が二人死んでいた。 40ぐらいの女と男のようだった。 二人は再び肩を組み、火の海を走った。 二人は疲れ、自然に歩いていたが、まるで道の両側の火は二人の恋人の通過のために火勢をゆるめているように見えた。 ようやく小川のふちへ出た。 ところが此処は小川の両側の工場が猛火を吹き上げて燃え狂っており、進むことも退くことも立ち止まることも出来なくなったが、ふと見ると小川に梯子が掛けられているので、布団を被せて千秋を下ろし、羽鳥は一気に飛び降りた。 訣別した人間達が三々五々川の中を歩いている。 千秋は時々自発的に身体を水に浸している。 犬ですらそうせざる得ぬ状況だったが、ひとりのかわいい人間が生まれでた新鮮さに羽鳥は目を見開いて水を浴びる千秋の姿態を貪り見た。 小川はようやく火の海の炎の下を出外れて暗闇の下を流れはじめた。 空一面の火の色で真の暗闇は有り得なかったが、再び生きて見ることを得た暗闇に、羽鳥はむしろ得体の知れない大きな疲れと、はて知らぬ虚無とのためにただ放心が広がる様を見るのみだった。 その底に小さな安堵があるのだが、それは変にケチ臭い、馬鹿げたものに思われた。 何もかも馬鹿馬鹿しくなっていた。

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