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第1―18話
明け方に近づくと冷えはじめて、羽鳥は冬の外套も着ていたし厚いジャケットも着ているのだが、寒気が堪えがたかった。
下の麦畑のふちの諸方には尚燃え続けている一面の火の原があった。
そこまで行って暖をとりたいと思ったが、千秋が目を覚ますと困るので、羽鳥は身動きが出来なかった。
千秋の目を覚ますのが、なぜか堪えられぬ思いがした。
千秋が眠りこけているうちに、千秋を置いて立ち去りたいとも思ったが、それすらも面倒臭くなっていた。
人が物を捨てるには、例えば紙屑を捨てるにも、捨てるだけの張り合いと潔癖ぐらいはあるだろう。
この千秋を捨てる張り合いも潔癖も失われているだけだ。
微塵の愛情も無かったし、未練も無かったが、捨てるだけの張り合いも無かった。
生きるための、明日の希望が無いからだった。
明日の日に、例えば千秋の姿を捨ててみても、どこかの場所に何か希望があるのだろうか。
何を頼りに生きるのだろう。
どこに住む家があるのだか、眠る穴ぼこがあるのだか、それすらも分かりはしなかった。
敵が上陸し、天地にあらゆる破壊が起こり、その戦争の破壊の巨大な愛情が、すべてを裁いてくれるだろう。
考えることも無くなっていた。
夜が白みかけたら、千秋を起こして焼け跡の方は見向きもせずに、ともかくねぐらを探して、なるべく遠い停車場を目指して歩き出すことにしようと羽鳥は考えていた。
電車や汽車は動くだろうか。
停車場の周囲の枕木の垣根に凭れて休んでいる時、今朝は果たして空が晴れて、俺と俺の隣に並んだ千秋の背中に太陽の光が注ぐだろうか、と羽鳥は考えていた。
あまりに今朝が寒すぎるからであった。
千秋…遠くへ行こう
と、く…
遠く…遠くだ…一緒に
とおく…いっしょ…いく…
そして二人はまた戦火に包まれる東京を歩き出す。
羽鳥の腕は千秋の肩にしっかりと廻されている。
千秋がふと羽鳥を見上げる。
羽鳥と千秋の目が合う。
千秋が虚無の表情を脱ぎ捨て、幸福そうに微笑んだように羽鳥には見えた。
その微笑みは限りなく無垢であった。
~fin~
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