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春、慣れ親しんだ故郷を離れて彼は海と大陸を渡った。
今頃曽祖父の館の庭には自分の名前にもなっている薄桃色の花が咲いていることだろう。
彼が生まれた時、その瑞々しい頬をつつきながらも名前をつけたのはほかでもない曽祖父だった。庭に咲いた桜のように可愛らしく淡い色の頬だと。ころころと鈴の音のような声が耳につくと
『桜 、サク坊。』
笑いながらあやしてくれていたそうだ。
学校の初等部にいた頃はその曽祖父がつけてくれた名前を
「桜 」だなんて女々しい名前だ
と、からかわれて小突かれたり、その中性的で麗しい見た目から女なんじゃないかとズボンをずり下ろされたりもした。
しかし、そこは軍人だった父の教えのおかげで、羽交い締めにしてきた後ろの同級生を遠心力を使って前へ投げ、自分をひっぱたいた学友の手をむんずと引っつかみ後ろへと放り投げてやった。
「俺の名前はサクだ!桜はこの国の象徴だ!俺はこの国みたく、体は小さいが喧嘩は誰にも負けないぞ!」
それ以来、いじめられることも名前をからかわれることもなくなった。
そして、その美貌は歳を重ねるごとに輪をかけて磨かれていった。
白い肌は張りを持ち、唇は梅の花のように赤く、切れ長に伸びた目尻は半紙に小筆で引いたようにくっきり。
髪の色は深く艶やかな翠。
十三歳になった彼を、曽祖父がキャンバスに描いてくれた。
百合の花と一緒に椅子に座って長いことじーっとしているうえに、曽祖父にまじまじと見られるのがなんだか恥ずかしくて体験したことのないその感覚と出来上がった自分の絵に衝撃を覚えた。
しかし絵に親しみを持ち始めた桜を、厳格な父は許さなかった。
変わり者だなんだと言われている曽祖父の影響を受けるだなんて、画家で食えるはずもない。お前が絵なんぞ描いてどうする。
そう言って白い布のかかったまだ書きかけの絵を、破いて燃やしてしまったのだ。
そんな彼が家を飛び出したのは、高等学校で出会ったヤツらがきっかけであった。
中学までは共学であったが高校は父の意向で男子校となった。
周りはコネで入った上流貴族から、奨学金を受けながら通う農民まで様々な人種がいた。
そんな中、桜は芸術に興味を持った数名と仲良くなった。
絵描き、彫刻家、ピアニスト、作家を目指す彼らはその技量を少しだけ彼に見せた。すごいすごいと熱狂する彼に気を良くした彼らは一週間後にはそれを後悔することになる。
桜は見せて貰った彼らの技に興味を持ち、たちまち自分のものにしてしまったのである。
自分がやっと弾けるようになった曲を、何週間もかけてかいた絵を、何ヶ月もかけて彫った作品を、それぞれ一週間程で拙くも形にして自分たちに見せた桜に、彼らは畏怖と尊敬の念を込めて拍手を送り、これに負けるわけにはいかないとさらに腕を磨いた。
桜のその才能は瞬く間に学校中に広まり、これもやってみろあれもやってみろと矢継ぎ早にいろんなものが、特殊技能やくだらない特技を披露しては真似てみろと挑戦状を叩きつけに来るようになった。
桜はその全てを返して見せ、学校で一躍時の人となった。
しかし、そんな彼も家に帰ればただの次男坊。
どんなに学校でもてはやされてもそんなことで一番になってどうすると一蹴されるだけだった。
「俺が何をしても父さんは気に入らないんだ。あの人にとって、俺は兄さんの代替品で、いざと言う時に引っ張り出される予備品なんだよ。」
ポツリと桜そう漏らすと、はじめに親しくなった4人が憤然と立ち上がった。
そんなのはおかしい、こんなにすばらしい才能に溢れているんだ、みすみす潰されてなるものか!
と。
それから彼らは結託して勉強に勉強を重ねた。
ほったらかされていた曽祖父の遺産である別荘が、異国の地にあるというのを聞いたのはそろそろ進路を決めるという時期であった。
勿論、父親は大学を、しかもさも当たり前のように兄とは桁の違う三流の学校を受けろと命じてきた。
そこで桜は父に隠れてこっそりと異国の別荘を継ぎ、大学の入試問題を白紙で出して、不合格通知と同時に国を出た。
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