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(2)
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階段下のドアをくぐるとそこは細く真っ直ぐな廊下だった。
元々は避難路かなにかに使われていたのだろう、先は暗くランプが三つほどしかついていないような薄気味の悪いところだった。
その廊下を進むと、黒い壁に溶け込むように引き戸があった。
さらにそこには黒いプラスチックのような安っぽい光沢を持った見るからに後付けの鍵穴がひとつ。
「3回、だよな。」
今までにないくらいに心臓が早鐘を打つ。
こんなに緊張するのはいつぶりだろうか。初めてルグリといたずらを仕掛けた日?
チビ二人が怪我をした時?
こんなにドキドキして、なんだか逃げ出したいような気分になるのは初めてかもしれない。
そう思いながら軽く固めたこぶしをゆっくり三回、黒檀のドアに当てた
...。
.....。
............。
..................................................................。
沈黙。
聞こえてないのかも?
と思いもう三回ノックした。
.........。
もう1回...
『うるさいっ!なんだミスターか?!
せっかちなのはよしてくれといつも言ってるだろうが今回はなんだ!?
この前あんたが欲しいと言ってた絵は二階にあるぞ!』
「鍵は開いています。」
...。
なにかものすごい怒鳴り声が聞こえた。
なんだろう、怒らせた?
ノワールがすっかり固まっている間にドアがあちら側から音を立てて開いた。
「あ、あの…。」
「あー...。何か御用でしょうか。私は今仕事をしています。」
「仕事の邪魔してすまない!これ、あんたに!」
白い百合の花が目前に突き出されると彼はキョトンとしてそれを両手で受け取った。
なんで自分に花?と思ったがよくよく考えてみれば階段の踊り場に『百合と孫』があるのだそれを踏まえてかと合点し、もじもじと若干顔を赤らめた青年を見て、
「ありがとう。しかしこういうのは妙齢の女性にして差し上げるべきかと思います。それと、どうしてここに?」
と部屋の中においてあった空の花瓶に包装ごと突き刺してキャンバスの前に戻った。
会話を続けたいノワールはこの花を見て彼に似合うと思ったから買ってきたというのと、もっと何かいい糸口はないかとそこらをキョロキョロと見渡し、彼の座ったキャンバスに目をつけた。
「今は何描いてんですか?」
「今は、母国の風景を思い出しながら描いています。」
キャンバスに広がるのは一面を薄桃色に染め上げた春の遊歩道かなにかだった。
「セリシール?」
まるで白と桃色の霞をかき集めたかのようなその風景は間違いなく春のセリシールだ。
海を越えてもこの木は変わらないんだなぁと考え深げに眺めていると、肩を叩かれた。
振り返ってみると家主がペンと紙をもって立っていた。
「今なんと言いましたか?」
「へ?…あー、これセリシールの花だよな、って。」
「『せりしいる』...こちらではそういった名前なのですね。初めて聞きました。綴りは?」
「初めて…って、えーっと...」
至極真面目な顔で綴りを教えろとせがまれ若干身を引きながらも書いてみせると、彼は何度か転がすように単語を口にした。
「東洋人はセリシールの木の下でドンチャンするのが好きだって聞いたんだけど。」
「私は別に騒ぐのは好きではありませんから。」
飄々とそういう彼の名前を自分はまだ知らないということに気づいたノワールは、それを口に出した。
「名前?あぁ、『さく』です。」
「ぅ…?サャク?」
サラリと流された東洋の名前はこちらでは聞いたことのない舌使いだった。
舌を後ろに引っ込めて発音することの多いこの国で、歯の裏に舌を当てて音にするのは至難の技だったらしく...
『さく』
「シャアク」
『さ』
「サャ、スャ…スァ…サ...!」
「スァク!......。」
「こちらでは難しい発音なのですね。」
呆れたように苦笑するサクに表情は自然と曇った。
このまま呼べないのは癪に障る。
うまく呼べるようになるまでに
「あだ名とかないの?」
『元々二文字ですから、特にないですね…。あぁ、そうだ私の名前の由来はこの花なんですよ。』
ちらりと目をやった先にあったのは先ほどのキャンバス。
「私の国ではこの花は『さくら』というんです。さっきあなたも言ってましたが、自国民はこの花を大層気に入っている。皆に気に入られるようにとこの屋敷の主であった曽祖父がつけてくれた名前なんです。」
「へぇ...じゃぁ、セリシールって呼んでも?」
「どうぞお好きなように。」
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