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調査報告 ネコ科
「と、とても、校内が広いんですね。覚えるのが大変どころか、移動だけで体力がつきそうだ……」
獣人学校の敷地は、人間が通う一般的な高校の二個分はゆうにある。先を行く卯月教頭の歩くペースも早いし、獣人の身体能力の高さは想像以上のようだ。
「人間はずいぶんと軟弱なんですね。私たちには血気盛んな者が多いので、先生がついてこれるか少々不安です」
「いえ、こう見えても根性だけは身につけてきましたので頑張りますよ」
父に幼少からあちこち僻地へ連れて行かれ、鍛えられてきたのだ。校内が広いくらいがなんだ。水も食料もあり、なんと調査期間中には寝泊まりできる部屋まで用意してもらっている。
こんなに恵まれた環境で、文句などつけようがなかった。
「ああそうだ、研究者の睦月さんならご存知かと思いますが、発情期の獣人にはご注意を。見境ないケースもありますので」
いたずらっぽく浮かぶ卯月教頭の笑みを怪訝に思った、その瞬間。臀部に何かが触れる。
「ひい……ッ!」
「それでは私は別の仕事がありますので、これで失礼」
大きくて、長い指が僕の尻を鷲掴み、揉む。引きつった悲鳴が喉から漏れた。僕は反射的に海老反りになる。
信じられない気持ちで振り返ると、そこには何事もなかったような顔の卯月教頭がいた。
尻を守って間抜けな格好をしている僕のほうがおかしく感じる。
「職員室はそこです。睦月さんを担当する者が待っていますので声をかけてください」
意味深に右手の甲をぺろりと舐めて去っていく卯月教頭の背中を、ただただ見送るしかない。
なんだいまのは。
人の尻を揉んでおいてなぜそんな平然と澄ましているのか、理解不能だ。
獣人なりのスキンシップの一種だろうか。
これはレポートにまとめておくべきことかもしれない。
驚きのあまり激しく踊る心臓を放っておいて、僕はポケットに忍ばせてあるメモ帳にペンを走らせた。
気を取り直すため、深呼吸する。
視線の先には職員室のプレートを掲げた教室があった。ドアをノックして、中へ入る。
「失礼します。今日から獣人調査でお世話になります、睦月と申します。担当の方、いらっしゃいますか?」
時間差はあれど、室内にいる全員の注目を受ける。当然ながら職員はみんな獣人だ。人間と生活を分けている彼らにとって、僕は興味の対象なんだろう。隠すことない奇異の目に気後れしそうだ。
「どうも初めまして! お話伺ってますよ。睦月先生って呼べばいいかな」
人懐っこい笑みで駆け寄ってきたのは、はつらつとした青年の獣人だった。
がっしりとした体型に似合わず、折れた小さな耳が茶髪にちょこんと乗っている。髪と同じ色のしっぽは耳と違い大きくて、緩慢に揺れていた。
「先生って柄でもないですけど、自由に呼んでください」
「じゃあ睦月先生って呼びますね。俺は弥生 コタロウって言います。堅苦しいの苦手なんでテキトーにどうぞ」
握手を求められて応じると、白い歯を見せて弥生先生は笑った。他の獣人よりも犬歯が長く、社交的な彼は、きっとイヌ科だろう。明るい雰囲気に僕は安堵した。
「全体の説明は教頭がしてるんですよね。睦月先生は主に俺のクラスで研修してもらいますんで、もう教室行っちゃいます?」
「わかりました。お願いします」
「決まり!それじゃ行きましょ。睦月先生、固くならないでいいっすよ。いくら人間でも俺らだっていきなり取って食うわけじゃないんだし。たぶん」
たぶん。えっ、多分?
ぎょっとして弥生先生をみるとにのんきに笑っていて、冗談かどうかは読み取れない。
不安を胸に残しつつ、僕たちは職員室を後にした。
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