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第8話
可愛い寝顔とは反対に、清彦は憂鬱な気分で目覚めた。
寝かけに思った妄想と、昨日のことを当主に話さなければならないことに気持ちが沈む。それが吉と出るか凶と出るか。当主の気分もあるだろうが憂鬱でならなかった。
支度を済ませ、朝食の準備に取りかかろうとすると、パタパタと足音が勢いよく聞こえてきた。ノックと同時にドアが開く。小言を言ってやろうと振り返った先には、本宅の使用人が顔を覗かせた。
「清彦様、大変です!成宮の、ご当主様の会社が!」
息を切らし、ぺたんと座り込んだ。
「買収、されたみたいです!」
買収…昨晩、大吾が言った戯言が目の前に突きつけられた気がした。
「それは、事実なのか?」
噂話を耳に入れようとしているなら話は別だ。こんな大それた噂話なら注意をしなくてはいけない。
「昨晩から、ご当主様、帰っておられなくて…先程、結城様と言われる方が、来られて…この屋敷も抵当に入ってるらしくて…どうしましょう…」
「どうしたの…」
座り込んだ使用人の後ろから目を擦りながら柾樹が顔を見せる。女は慌てて立ち上がり、柾樹に会釈をした。
本宅の使用人は柾樹に会うことはない。初見の柾樹を食い入るように見つめている。
「おはようございます、柾樹様。朝食の準備が出来ています、こちらへ」
椅子を引いてやるとちょこんと座る。それも幼い頃から変わっていない。
「まずは、柾樹様の食事が先だ。その後で向こうへ行く。それまで皆んなには待機するように言ってくれ」
そう伝えると、来た道を音を立てて帰って行く。清彦は溜息を吐きながら柾樹のそばに座った。
「清彦は食べないの?」
今日は当主に会わなくていいことにホッとしたが、消化しきれていない想いが胸に詰まり、食欲が湧いてこなかった。
「食欲がなくてね…柾樹はいっぱい食べないとな」
うんと頷きパンを頬張る。昨日の出来事で心が病んでいないかと不安だったが、元気に頬張る姿を見て胸をなで下ろす。
未熟児で生まれた柾樹は十八になっても背はあまり伸びなかった。軽々と持ち上がる華奢な身体は、もう少し太ってもいいと思っている。しかし食も細い。清彦は食が進むように毎日の献立を考え、一緒に食事を摂っていた。それは夢描く家族という団らんでもあったのだが。
足音と共にこんこんとドアを叩く音がする。今朝は来客が多いと、ゲンナリしながら立ち上がった。
「今日は玄関から来たぜって、坊ちゃん、今、朝飯?」
数時間ぶりに会う親友は昨晩とは違う出で立ちのスーツ姿で立っていた。先程の使用人の女が「結城」と言ったのは…大吾のことだったんだろうかと首を捻る。
「お前、まさか、昨日の…」
貸しという言葉が過ぎり柾樹を庇うように立つ。そして少し威嚇をする視線を投げつけた。
「おいおい、待てよ。親友にそれはないんじゃないの?昨日の貸しは坊ちゃんにじゃなくてお前にだし。今日は坊ちゃんに用があってきたんだから」
欧米人のように首を竦め手のひらを上にあげる素振りを見せる。清彦の横を通り過ぎ、柾樹の隣に腰を下ろした。
「言われた通りにやったよ。おやっさん、もう帰ってこないだろうね。それとこれな、爺さんの言われた通り行ってきたぜ」
大吾の言葉に返事もせず、咀嚼を繰り返し牛乳を飲み干して手を合わせた。なんのことだかわからなく立ち尽くした清彦に微笑んで、柾樹は大吾に向き合った。
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