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第3話

 まといの工房に呼ばれてから約1週間が経った。それなのに奴が舐めたり触ったりした場所が気味の悪さからか痒くてしかたがなくて、ただでさえ毎日に辟易としているのに、余計に苛立ちが募る。  結局あの日奴はどれだけ俺の身体を貪っていたのか。目が覚めるともう日付は変わっていて、普段ならば京介にこってりと絞られるところだが、俺の連絡用の端末には連絡の1本もなかった。予想通り眠っている間も散々弄ばれたようで、背後で呑気に眠っているまといの身体を引きはがすと奴のモノが中から引き抜かれて、その感触にがっくりと肩を落としたのを覚えている。一刻も早くその場を離れたくて、見慣れない寝室から汚れた身体のまま抜け出したというわけだ。帰り道膝は笑うわ服は体液でベトベトになるわでここ1ヶ月の中でも最低最悪の1日だった。  多少時間を潰しながら夜明け前に住処に戻ると、俺がたどり着くまでに京介のもとにはまといから連絡が入っていて、試作品のデザインが出来るまでに1週間程度待ってほしい、と言われたとか。 「意外と早く試作品ってできるんだね、わくわくしちゃうなあ」  京介は上機嫌にそんなことを言っていたが、俺からすれば1週間後にまたあの変態幽霊男と会わないといけないのかと思うと鉛のように重い気分になった。おまけにその日は京介を待たせたせいで体を洗う事も出来ず、まといに汚されたままの身体で京介の相手までさせられたのだ。俺はまといを最低でも100発は殴っていいと思う。 「10時か…」  シャワーを浴びて、時間を確認した。そういえば、以前もこのくらいの時間にまといは来た気がする。出来る事なら今回は顔を合わせずに済ませたいが……そうもいかないようだ。風呂の扉をあけてすぐ、狭い廊下の先にあの浮き上がるような白髪と、不気味な花柄の着物が見えた。 「…!あ、あ、アサトくん!…ひ、久しぶり、だねえ!ふ、ふふ……ま、またあえて嬉しいよ…!」 「…まとい…!」  意図したわけじゃないが、思わず舌打ちしてしまった。奴の顔を見ただけであのねちっこくていやらしい触り方を思い出して、また身体が痒くなった。逃げようと思ってもこの場所じゃあ風呂場に入るのがせいぜいだ。鍵もないような場所に入ったところでどうしようもない。諦めてその場から歩み出し、こちらに近寄ろうとする奴の挙動を無視してすれ違うように逆方向に歩を進めた。 「っ…あっ…!ま、まってよ、ねえ」 「何で待たなきゃいけねえんだよ。お前に用があるのは京介だろ。俺は関係ねえ」 「そ、そんなふうにいわなくても…、お、おれたち、ほら、もう、知らない仲じゃないんだし…!」 「………」  性格までねちっこいのかこいつは。処女だった女みたいなこと言うんじゃねえよ、と腹の中で呟いて、それを伝える代わりにまた派手に舌打ちした。奴が俺に伴って方向転換したのち、わざわざ歩調を合わせて並走してくる。ただでさえ狭い廊下なのに鬱陶しい。絶対に顔など見てやるかと奴の挙動は無視することにした。 「…えへ、あ、あのね…!す、すごく頑張ったんだ。…は、早く、アサトくんに、あ、あ、会いたいなって、思って、さ、頑張って早く、作ったんだよ…!」 「…は?お前の勝手な事情だろ。目的がすり替わってんぞ。それに、理由もなくお前となんてやらねえよ。  やりたきゃ京介のほうに色目使え。…アイツなら二つ返事で可愛がってくれるぜ」 「き、き、京介さんは…綺麗だけど…、だ、だ、抱かれるのはダメだっていうし、お、おれもそっち側はできないし…って、こ、こ、こないだ話したんだ。だ、だから、…ないよ」 「…!…俺だって野郎にいいようにされるのは御免だがな…!?それに、お前のやり方が嫌いなんだよ。二度とするか」 「……そ、そんな…、あ、あんなに気持ちよさそうに、し、してたじゃん…」 「…ッ…!黙れよこの変態幽霊野郎が。もう部屋につく。さっさと京介の所に行けよ」  コイツと話してるとキレそうだ。拳を握りしめて渾身の力で睨みつけても、まといはへらへらと笑っているばかりだ。どうせ叩きつけたところで煙になって逃げるか、上手く当たったとしても京介に言いつけるんだろうからどっちみち俺の負けだ。歯が食い込むほど唇を噛んで怒りを堪えながら京介がいるはずの部屋に立ち入った。 「あ、アサトおかえり。ふふ、ほら、アサトも見てよ、凄いでしょう?やっぱり彼は天才だね!そう思わない?」 「……!そいつが……」  部屋のど真ん中に立つ京介に視線をやると、俺たちの気配を感じたのだろうその身体がくるりとこちらを振り返った。そして、その影に隠れていた人影が露わになる。 「…き、き、恐縮です…」  その華奢な姿に目が釘付けになる。  俺には教養もないし、美を愛でる情緒もないが、それでもその姿が美しいことはわかった。  たしかに京介が天才とまで言うのもわかる。造った本人のイメージとはかけ離れた出来上がりだった。俺と同じくらいの身長の、銀髪をポニーテールに結った青年は瞑目していて、僅かに吊り上がった目元には長い睫が揺れている。  ふ、とその目元が揺れて、奥に隠されていた髪と同じ銀の瞳がこちらを見た。  どきりと心臓が鳴って、不意に思い出した。  彼の作る人形は、生きているんだ  その言葉を。 「ねえ、アサトも触ってみてよ。本当に君と同じ肌の触り心地なんだよ。髪も。ふふ、すごい…本当、どうやって作ってるんだろう…」 「…は…!?」  京介に腕を引っ張られて、その人形の青年の前に引き出された。近くで見れば見るほど無機質な美しさなのに、その瞼は何度も瞬きを繰り返していて、生きていることを証明している。ただ唖然としていると今度は手を取られて、目の前の陶器のような肌に触れさせられる。その肌は俺の掌に吸い付くみたいだ。柔らかくて、温かい…。正直、俺と同じと言われても自分の肌に何の感慨も感じたことはなかったからよくわからなかった。髪もそうだ。つるりとした見た目なのに柔らかくて、ふんわりとした手触りだ。これが俺と同じと言われてもいまいちよくわからない。ただ、とても触り心地が良いことだけはわかる。 「…―――」 「あははっ!アサトも驚いちゃったみたい。すごいよねえ。すごい再現度だよね。それに…とっても綺麗。  ふふ、このまま飾っておいてもいいくらい。一度アサトを貸してあげただけなのに、こんなに完璧に再現できるなんて…。  でも、大変だったでしょう?」 「…え、え、ええ…素材を探すのには…く、苦労しました…」  一体、何で作ればこんなものが出来上がるのか…。素材がどうとか言っているが、何で出来ているのかがまったくわからない。触れた瞬間確かにわかった。この人形には血が通っている…。その薄く色づく白い肌の下に、脈打つ血潮の感触があった。  ちらりとまといの表情を見ると、奴は何事もなかったかのように笑みを浮かべていた。…なにも驚くことはないというように。とたん、この男のことが余計に気味が悪くなった。今まで京介と共に生活しているために不気味なものはいくらでも見てきた。だが…これは?  以前、京介に言われたことがある。  この世界に、いのちを無から作り出せる存在は、自然の摂理以外にはほとんどないと。  もし摂理を裏切れば、それには多大な代償が必要になると。  だとすれば、このいのちは、どこから……?  おそらくまといが作り出してきた人形はこの目の前の1体だけじゃない。  京介が5年も待たされ、そしてそれ以前から人形師として名を馳せていたというのならば、その数はわずかではないはずだ。そのいちいちで代償を差し出しているとは考えづらい。だとすれば……どこからかすでに在るものを流用しているとしか思えない…。が…… 「ふふ、アサト、驚きすぎじゃない?僕言ったでしょ?彼の人形はすごいんだって。  美しいし、どんなリクエストにも正確に答えてくれるんだって。言った通りでしょう?」 「……あ、あ…ああ…そう、だけど…」 「…ふ、ふふ…す、少しは、み、見直して、くれた?」 「…ッ……!」  ポンと京介に肩を叩かれたかと思えば、今度は逆側からまといの腕がするりと絡みついた。  見直して…?いや、そうじゃない。自慢げに笑みを浮かべながら顔を近づけるまといに、さっきまではなかった恐ろしさを感じた。気味が悪いとか、そういう思いはあったが、恐ろしいと思ったのは初めてだ。しかし俺の表情を前向きなものととらえたのだろうか、ふふんと鼻を鳴らして満足そうにしている。  …嫌に仲良くおしゃべりしてると思ったら…なるほどな。  こいつらは似た者同士ってわけだ。  ひどい悪趣味仲間だ。 「…い、い、いかがでしょう…。し、修正点が、あ、あれば…修正いたしますが…」 「んー、見た目はこれでいいよ。とても綺麗だから気に入っちゃった」 「か、かしこまりました。で、で、では…もう一点…ご確認頂きたい点が…」 「……ああ…ふふ、そうだね」  2人で俺と人形を囲んで、相変わらず悪趣味な話は続く。最後にまといが提案した内容は吐き気を催すものだった。ちらと目の前の何も知らないような人形の青年を見ては哀れに思った。…とはいえ、どうせ、俺がいつもされてることと大して変わらない。せいぜい頑張れ、と、これから見る地獄を想像して、その無垢な表情から目を逸らした。 「…じゃあ俺は外していいか?…できれば最近疲れてるから休みてえ」 「うん?ああ、そう、そうだね。ふふ…たまにはアサトにもお休みをあげないとダメだよね。  いいよ、必要になったらまた呼ぶから、休んでおいで」 「…で、で、では、私も…」  お前もかよ、と突っ込みたかったがそんなことより早くこの場を離れたくて踵を返した。今から行われることを僅かでも目に入れたくなかったし、知らないことにしておきたかったからだ。もう今更京介の手にかかって死ぬ連中に対する罪悪感や悲哀なんて感じないが、それでもこれから拷問に等しい行為を受けるとわかり切っている奴の未来を考えたくなんてない。無関係でいたいんだ。だから、最後に視界の片隅で、京介の指先が人形の青年に向かって伸びていたことも、忘れることにした。  ほんの少しだけ、初めて目を開いた日のことを思い出してしまって、また唇を噛んだ。 「ふ…うふふ、よ、よ、よかった、京介さん、き、気に入ってくれたみたい…」 「………」  気づけば部屋から少しでも離れようとする俺の隣にまたまといが張り付いて歩いている。できればこの男からもさっさと離れたいが、奴の思いは俺とは真逆らしい。歩調を早めてもぴったりと隣から離れない。 「お前……」 「ん、ん?な、な、何?」  …だったら、それを逆に利用してやろう。  気が引けないといえば嘘になるが、先ほど感じた疑問を直接本人にぶつけてみることにした。 「…あの、人形……いや、お前の作る人形は生きてるって…本当だったんだな」 「あ、う、う、うん!そ、そ、そうだよ。ぼ、僕の作る人形は生きてるんだ…!み、見てくれて信じてくれたんだね…!」 「…ああ…確かにあれは生きてた。…だが…」 「ん、ん?な、なにか気になるの?」  ぴたりと足を止め、ほんの少し俺を追い越したまといの顔を見上げた。相変わらず、何事もなかったかのように…笑っている。 「………どうして生きてる?  当たり前だが俺も世界の全てを知ってる訳じゃないからな…。お前にとっては当たり前かもしれないが…不自然に感じるんだよ。  京介が前に言っていた。無からいのちを作ることは…自然の摂理以外難しいってな…  じゃあ、あれはどうして生きてる?  あの人形のいのちは、どこから調達してきたものだ…?」 「………」  まといの表情から笑みが消えた。  だが、ばつが悪いとか、怒りだとか、そういう表情じゃない。ただ、俺の言葉を静かに受け止めた。それだけの表情だ。だから、数秒でまたその表情には笑みが戻って、今度はけらけらと楽し気に笑い始めた。 「あ、ははっ…!な、なんだあ、そんなこと。  ふ、ふ、びっくりしちゃった。そ、そんなに真剣に、い、言うんだもん。  べ、べ、別に、何にも不思議なことなんて、ないよ。だ、だって、人形をつくるのに使う素材が、木、とか、綿、とか、ちがうみたいに、何でできてるか、違うって、た、た、ただ、それだけでしょう?」 「……は?」  羽織の先を口元にあてて、女のようにけらけらとまだ笑っている。まるで子どもの見当はずれな疑問を聞いた親のようだ。ああ、おかしい。なんていいながら俺の表情をじっと楽しむように見つめた。 「…む、む、難しく考えるから、だよ。  い、いのちをもっていないもので、つ、つくるから。置物になる、だけ。  も、も、もともと、そ、素材が、いのちを持ってるもの、だったら……?  い、いのちをもってる人形ができる、って…あ、あ、あたりまえ、でしょう?」 「……ッ…!…まさか…」  ゆらり、とまといの姿がゆらめいて、空気に溶けるようにかすんだ。辺りには白い煙がくゆって、奴の首筋からしたのと同じ、線香のような香りが充満する。 「…ま、ま、まあ…そ、それじゃあ、さ、す、姿を変えるだけ、だもの、人形、とは、言えないけれど…。  い、色々と…に、人形師としての技術は持ってるって…自負、してる、つ、つもりだから、さ……。  ほ、ほら、き、君も見たでしょう…?い、依頼した人の…希望に、す、全て答えることができる。  の、望まれたものを故意に造ることがで、できるんだ。だ、だから、おれは、作ったものを、人形って言っているし…自分を人形師だって、お、思ってるんだ…」 「……―――!!」  あのざらついた、やすりのような指先が顎先を撫でた。いつの間にかまといが背後から俺を抱きすくめるようにして立って…奴の唇が髪越しに耳の後ろに触れて、丁寧に教えるように直接耳に言葉を吹き込んでくる。 「……で、でも、作り方は、ふ、普通の人形と、お、おんなじだよ。  素材を、き、切って、貼って、つ、つなげて…の、望み通りのモノを、つ、つくるんだ。だ、だから、君とそっくりの、肌も、か、髪も……身体も…な、中のカタチも…ぜ、全部用意できる…ひ、ひとつにできるんだ。  ほ、本当は、さ、き、君から採取で、できたら楽なんだ、けど…そ、それじゃあ、ねえ。人形師としての、な、名が廃る…ってね…」 「……お…まえっ……!」  じゃあ、あの肌は、あの髪は……あの、いのちそのものは…  全部、別の持ち主がいたってことか…!?  それを、こいつは…!!! 「…―――!!」 「あ、ははっ…こ、怖い、顔…ど、どうしたの?  あ、アサトくんって…き、京介さんの息子、なのに…全然、に、似てないんだ、ねえ」 「それッ…―――!!」 「は、はじめて会った時に、お、お、教えて、もらったんだ。お、親子なんだって。ふ、ふふ、だ、だから、もっと…怖い、子なのかなあって思ってた、けど……や、優しい子なんだねえ」 「ッ―――!!!」  絡みつく腕と身体を振り払おうと左腕を凪いだが、手ごたえはない。また奴は姿を揺らめかせて逃げやがった。クソ…!厄介な能力だ…!!勢い任せに振り払ったせいで、わずかにバランスを崩した体を、今度は正面から奴が受け止めた。まるでキスでもする直前のように、顎まで掴んで。 「…お、お、怒ってるの?ふ、ふふ…そ、そういう顔も、いいね。お、おれ、君のファンになっちゃったみたい。  君の全部が…す、すっごく可愛く…見えちゃう」 「…こ…の、悪趣味野郎が…!…さすが京介と同類だな…お前…!普通の神経じゃまず、親に子どもを犯させろなんて言えねえよ。……つか、やることなすこと悪趣味なんだよ…!そりゃあセックスも悪趣味になるよなあ…!」 「…うふふ…そ、そうだねえ。き、君から見たら、悪趣味、なの、かもね…?  で、でもさあ、き、君の身体は…嬉しそうにしてくれる、から……もっと、いっぱい、したくなっちゃうよね…?しょうがない、よね…?」  奴の身体がゆらゆらと揺れている。なのに顎と腰を掴んだ手ばかりは力強くて逃げられない。悔しいがなよなよしてるのは見た目だけだ。おそらくこいつは俺よりはるかに…格上だ…。 「…ね、あ、悪趣味ついでに、も、もうひとつ教えてあげる、ね。  あ、あのね…人形が欲しい、って人には、ね、京介さんみたいに…き、綺麗なものが欲しい、っていう人が半分と…あ、あと半分はね…  こ、この人とそっくりな人形を造って  っていうんだ…。  が、外見だけ、じゃないよ。それこそ、か、身体の全部も、そうだけど……。  な、中身も一緒にしてって、言われるんだ…。性格も、あ、あと…自分がその人だって、認識した人形にしてくれって…いわれるんだあ」 「……はっ…!?」  親指が舌の真ん中を押して、ゆるやかに口内を探ってくる。だがそんなことより…ざわざわと嫌な予感が押し寄せてくる。覆いかぶさるように近い距離で瞳を見つめるまといの双眸から目を離せない。その口元が裂けるように深く笑みを刻む…。 「うふ、ふ…そういう子を、作るときは…ね、さ、最後にやらなきゃいけないことが、あ、あるんだあ。  ね、き、興味、あるでしょ…?あ、アサトくんにも、み、見せてあげようって、思って……」 「…――ッ!!ぅ、ぐッ…!!」  しゅるりと顎先から指の感触がなくなったと思った瞬間、喉の奥に密度の高い何かが押し込まれた。それは気道を通って、肺を支配して、あまりの息苦しさに喉を押さえたがもう手遅れだった。口元に視線をおろすと、まといの腕が煙になって、みるみるうちに俺の口内に侵入していく。  やられた…!そう思ったころにはもう…  目の前が真っ白になっていく…―― 「…そ、それにね、き、京介さんにも言われてるんだあ…。  き、君のこと、す、少し、預かっていいよって……ふふ…か、歓迎するよ。  今度はもっと…ゆ、ゆっくり…遊ぼう、ね……?」  にやりと笑うその目は、京介のものにも似て……  もうその後は、どうなったのかなんてわからない…―

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