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第2話

「あれ、狭山じゃん」  喫煙室で煙草をふかし、缶コーヒーを啜っていた狭山の名前が呼ばれる。振り返ると、今狭山が一番顔を合わせたくない人物……相沢が、グレーの品の良いコートに身を包み、後ろ手にドアを閉めているところだった。 「先輩……」  大好きな招かれざる客に、狭山はふいと視線を逸らす。 「お疲れ様です」  狭山はぺこりと会釈をし、煙草を灰皿へ投げ捨てた。缶コーヒーも中身を一気に煽って、ゴミ箱に放る。そしてそのまま相沢の横を通り抜け、喫煙室を出る……つもりだった。  しかし。 「何だよ、少しくらい無駄話に付き合ってくれよ」  狭山の腕は相沢の腕に捕えられ、その場所を離れることを阻止されていた。ふわりと漂う彼の匂いが、声が……全てが、どうしようもなく愛おしい。 「……俺、忙しいんですけど」  これ以上、この場所に居てはいけない。この男と言葉を交わしてはいけない。狭山は相沢の腕を振り切ろうと、身をよじった。……このままでは、抱え込んでいた彼への想いが、怒涛の如く溢れ出してしまうだろう。 「……狭山、どうしたんだよ。今日の君、何だか変だぞ」  相沢は、極端に自分を避けようとする狭山を訝しげに思い、彼の肩を掴んで向かい合わせると、俯いた顎を指で捕らえ、持ち上げた。 「……!」  顕になった狭山の頬は、濡れていた。……瞳から、止まることを知らないままに溢れ出す、透明の雫によって。 「さ、狭山……?」  相沢は狼狽えた。いつも無表情で、何事にも関心を持たない男がぼたぼたと流す涙に、ただ息を呑むことしかできない。 「先輩、結婚するんですってね」  狭山は、顎を捕らえる指を払い除け、再び俯いた。タイル張りの床に、小さな水溜りがぽたぽたと作られる。 「あ、ああ」 「……先輩に、ひとつお願いがあるんです」  相沢のコートに、狭山の指が触れた。続いて狭山の身体が、遠慮がちに寄り添う。 「お願い?」 「はい。……ひとつだけ、お願い」  コートを掴む狭山の指が、カタカタと小刻みに震える。やがてその震えは彼の全身へ広がり、相沢にも伝わった。 「俺を、抱いてください」 「え……?」  突拍子もない、唐突な要望。相沢は戸惑いを隠し切れずに目を見開き、震えながら自分に縋る男を見る。 「先輩を、俺の“思い出”にするために……、俺が、先輩を諦めるために。一度だけでいいんです」  震える声が、必死に言葉を紡ぐ。……何度も鼻を啜って、声を閊えながら、一生懸命に。 「狭山、それって……」  相沢は何かを云いかけて、言葉を呑み込んだ。ポケットを探って、俯く狭山にハンカチを持たせると、彼の手を引いて喫煙室のドアを開ける。 「……ここじゃあ、邪魔が入る。場所を変えよう」

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