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ミドルノート

   「なっ……」 満重はただでさえ細い瞳を更に細めて、イラついたように高雄を見下ろしていた。 感情の起伏のない無表情男の満重をここまで怒らせたのかと、高雄は唖然としていた。 「た、タバコくらいで、そんな怒んなよな」 またしてもビビってしまい、高雄は少し掠れた声で言った。 満重は少しの間、高雄を睨むように見ていたが、汚ないものにでも触れてしまったかのような態度で突然離れた。 立ち上がり、無言のまま理科準備室を出ていってしまった。 「……な、なんなんだよ」 高雄は唖然としたまま、満重が出ていったあとの扉を見ていた。 翌日、朝の廊下で高雄は満重とばったり出くわした。 「おう! てめぇ、昨日はよくもやってくれたなぁ?」 「……」 ガンを飛ばしてきた高雄を満重はいつもの無表情のままスルーした。   「おい!」 引き止めようとしたが、満重はあっという間にスタスタと歩き去ってしまった。 「ちょっと、満重くんに絡むんじゃないわよ!」 それを見ていた満重ファンの女子どもがキーキー騒いだ。 「うるせぇ! ブス!」 高雄の言葉に女子の怒りはヒートアップしたが、高雄は無視して教室とは反対方向に歩き出した。 「どうしたんだよ? 高雄」 悪友が小走りに追いかけてきた。 「別に……」 「サボるのか?」 「……ああ」 だが、いつもの旧校舎に行く気にはなれず、高雄は学校を抜け出して悪友とゲーセンに行くことにした。 昨日の満重の態度はいったいなんだったのか?無視されるのも気にくわないが、お気に入りの秘密基地を取られたようで腹が立つ。 それにやられっぱなしみたいで悔しい。 でも、それ以上に…… ───気味が悪い。 優等生のくせにサボって、高雄のタバコを見て豹変した。おかしなやつだ。 ───関わらないようにしよ。 そうして高雄は旧校舎の理科準備室には行かなくなった。 満重なんか相手にするもんか。そう思っていたが……時々、妙な視線を感じるようになった。 誰かに見られているような気がして振り向くと、必ず満重がいた。 「ガンくれやがって」と、睨み返すが、どうも高雄を見ていたわけではないらしい。 というか目が細いので、離れた場所からだと満重がどこを見ているのか分からなかった。 ───見えてんのか、見えてねぇんだかわからない目で見てんじゃねえっつーの! 高雄はもやもやイライラしていたが、初志貫徹だと、満重をスルーし続けた。 そもそも同じクラスだが、満重の方も全く高雄を相手にしていないので、二人の間に何かあったなど誰一人気付いていなかった。 涼しい顔で授業を受ける満重を見て高雄はまたイラッとした。 「先生ぇ、腹痛いんで。保健室行ってきます」 高雄はガダンと椅子から立ち上がり、教師の返事も待たずに教室を出ていった。 古典の教師は気が弱いので、黙ったまま高雄を止めなかった。 ───今なら満重も授業を受けてる。久しぶりに隠れ家で寝るか。 高雄は授業中で誰もいない廊下を伸びをしながら歩いた。 抜け道を通り、旧校舎の理科準備室へ忍び込む。久しぶりに来たが、やっぱり落ち着く場所だ。高雄は持ち込んだ雑誌を枕にして、行儀悪く机の上に寝そべった。午前中はサボることに決めて、本気寝するぞと目を閉じた。 しばらくして───かすかに足音が聞こえる気がした。 うつらうつらしていたが、扉の開く音にぼんやりと目を開いた。 「……えっ」 目の前には満重だ。 驚いて目を見開いて見ても、やっぱり満重だ。 あのときのように高雄に覆い被さって、細い目で見下ろしている。何がそんなに気に入らないのか、不機嫌そうな顔で。 「おい……またサボりか? ここは俺の場所だっつったろ!? お前はどっかよそへ行けよな」 押し返そうとしたら、上から手首を掴んで机に押し付けられた。イラッとして蹴りあげようとしたら、満重は体ごと机に乗り上げて高雄の体を押さえ込んだ。 「……てめぇ」 威嚇するように低い声で満重を睨む。高雄は特別に強くはないが弱くもない。ヤンチャな高校生らしく、そこそこ喧嘩はしてきたのだ。 暴力沙汰には無関係そうな満重に負ける気なんかない。 「ちょっと背が高くいからって舐めんじゃねぇよ!」 今日こそ殴ってやる。ボコボコにして泣かす。フツフツと怒りに燃える高雄に満重が顔を寄せてきた。 「!?」 そして、高雄の首筋に鼻を寄せて───高雄の匂いを嗅いだ。 「は……へ?」 あまりに予想外の行動に高雄の頭は真っ白になってしまった。その間も満重はスンスンと鼻を鳴らして犬のように高雄の匂いを嗅いでいる。 深く吸い込んで、小声で呟いた。 「……ああ、なんてことだ」 「はぁ? お前、いったい……」 顔を上げた満重を見て、高雄はぎょっとした。 満重は怒っているのでも、無表情でもなかった。 表情の分かりにくい一重の奥には……なんというか、欲望のようなものを感じた。 今は彼女がいないのでオナニーばかりしているが、高雄は童貞ではない。同じ男として性的興奮状態ってのは理解できた。 重なる体の、触れている股関あたりが硬くなっているし。 ───え、えっ? でもなんで!? モテているが、セックスとはイメージ遠い満重が突然、欲情状態になった。青天の霹靂すぎて高雄は軽くパニックを起こしていた。 「あの、きさま、えっと、お前、満重、これはいったいどういうことでしょうか?」 「……君が悪い。僕を変えた」 「は?」 「この匂いだ」 高雄は隠れてタバコを吸うので、わりと頻繁にタバコ臭い制服で登校していた。 ある日、高雄とすれ違ったときに、そのタバコの匂いに満重はゾクッとしたのだという。 家に帰り、一人きりの部屋でタバコの匂いを思い出して自慰をした。あんなに興奮したのは初めてだった。 「自分は匂いフェチだったのかと思った。こっそりタバコを買って吸ってみたが不快なだけだった」 けれど、あの日……廊下で高雄が教師に捕まりタバコを取り上げられた場面に遭遇したとき、 ───その匂いに満重は半勃起していた。 信じられなかった。学校で、しかもくだらない不良生徒の匂いで勃起してしまうなど……その出来事は完璧主義の満重のプライドをひどく傷付けた。 「確かめるためにここで君を待っていた。そこで気付いたんだ。君とタバコ、この組み合わせに僕は性的興奮を覚える」 「せ、性的興奮ですって?」 言っていることがまるで宇宙人の満重に高雄の言葉遣いはおかしくなっていた。 「香水もつけた人間の汗などで匂いが変化するだろう。タバコもそうみたいだ。君の汗と混じったタバコの匂いは麝香のようだよ。不快なのにクセになるようなミドルノート。そして最悪のラストノートだ。君が悪いんだ。カスみたいな頭の悪い不良のくせに、そんな匂いをまとっているから」 「ちょっとひどすぎるだろ! タバコ臭いってだけじゃねえか! 正気に戻れ。落ち着け。そして死ね」 「君の匂いがするたびに僕は勃起しそうになる。勉強も手につかないし、最悪だ……ずっとトップだったんだ。落ちるわけにはいかない」 「わかった。タバコやめるから、とりあえず離せ。お前、めちゃくちゃキモいから」 よからぬ空気に高雄は慌ててもがいた。 満重はおかまいなしに再び顔を寄せてきた。 「君から離れようとしていたのに……あんな熱い目で、僕を挑発した」 「してない!! ムカつくから睨んだだけだっつーの! 分かれよ、バカ!」 「責任とって嗅がせろ。このクズ」 いきなり満重の口調が変わった。情けないが高雄は「ひっ」と短い悲鳴を上げてしまった。

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