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第2話

帰り道、拗ねた気持ちで見上げた夜空には月が美しく見えていた。 汐月は由人の話を適当に流した後、一人でカウンターに座ったサラリーマンらしきスーツの男にアプローチして、さっさと店を出て行ってしまった。 時間的に静樹はまだ帰宅していないだろう。職場の面子で飲み会の時は早くて終電、遅ければタクシーだ。 (つまんねぇ……) 帰宅しても一人。滲み出す淋しさを誤魔化すように、暮らし始めた頃の記憶が蘇ってくる。 引越しの片付けが遅くなり、かなり遅い時間に近所のコンビニに行ったことを覚えている。 特になんてことはない。彼氏と二人で夜道を歩いてコンビニに。 それでも、由人にとってはとても大切な記憶だった。 コンビニであれもこれもと買い込み、買いすぎで荷物が重いと言った静樹の瞳は優しかった。 同じ場所に帰るその幸せに、夜空も飛べそうだと感じる程嬉しくて。 (……同じ部屋に帰るのになぁ) 帰っていないと決めつけていたせいで、玄関に入るまで部屋に明かりがついていることに気が付かなかった。 狭い玄関には静樹のビジネスシューズがあった。 細い廊下の先から漏れるリビングの明かり。帰っていた喜びは感じる暇もなく、焦りに変化した。 (……ど、うしよ、) 付き合い始めてすぐに、静樹から普段からどうやって相手を探してるんだと聞かれたことがあった。何故そんな事を聞かれるのかと不思議には思ったが、由人は素直に答えたのだ。 好きな相手が出来て静樹とのように、上手く恋人になれる事もあるよ、と。だが彼はその鋭い目を細めた。 【俺が聞いてるのはそうじゃなくて。……単純にヤりたくなった時、どうしてるんだって聞いてるんだけど】 あれ? と感じたクセに、由人は正直に時々飲みに行くゲイバーの話をした。 由人自身はその店で相手を見つけて寝たことは無い。自分と同じ性癖の人間が集まる中で身を置いて、ゆっくりと飲みたい時にしか行かないからだ。 【これからは禁止な】 鋭い瞳に由人は何も言えなかった。 嫉妬かもしれないと思えば嬉しかったし、その約束は守っていたのだが、彼が就職して多忙になるにつれ、由人の足はバーへと向くようになってしまったのだ。 のろのろと靴を脱いだ由人は、纏まらない言い訳にパニックを起こしていた。 (でもちょっと待てよ、オレなんか静樹と違って飲みになんか滅多に行かないし) 由人は大学卒業後、全国にチェーン店を持つホームセンターに務めている。 職場での人間関係にトラブルはないが、普段から薄給激務なせいで飲み会などは断るようにしていた。だが、それも静樹には話していない。 正直に言ってしまえば、職場の面子で気を使って食事するより、自宅で彼を待っている方がいい。もしかして早く帰宅出来れば、一緒にテレビを見て話が出来る。あわよくば濃密な時間も過ごせるかも。 (……そうだよ、オレばっかりだし…) そんな風に全てを彼に向けている。勝手だと言えばそうだが、今夜はどうしても自分だけが我慢しているような惨めな気持ちが勝ってしまった。 「……た、だいま」 なるべく普段通りに、と思って発した声は上擦ってしまった。 ソファに座っていた静樹は、スーツの上着だけを脱いでいた。相変わらずその凛々しい顔にネクタイが似合う。 (じゃ、なくて) どこまで好きなんだと適度にアルコールに酔っていた頭を振ると、ふわりと女性の匂いが鼻についた。 「……おかえり」 長い足を組み、ソファの背もたれに腕を乗せている彼の姿は本当に見惚れてしまう。 これだけの男前なら、周囲の女性が放っておかないのは当たり前なのだろう。 「は、早かったな、静樹。いつもならあと二時間くらい遅いのに」 ソファの後ろを通り定位置にリュックを置いたが、彼から漂う雰囲気が少し怖くて顔が見れない。 「由人」 急に視界が薄暗くなった。なんだと振り向くと、ソファに座ったはずの彼が目の前に立ち、由人に顔を寄せ眉を寄せている。 「……どこで飲んだ?」 「えっ、駅前のほら、焼き鳥屋」 「誰と」 「一人に決まってんじゃん」 言った直後に後悔した。やはり言い訳は完璧に用意しておくべきだ。 由人は行きつけのゲイバー以外の飲食店に一人では入らない。 「………行ったのか」 「……………い、ったけど、」 薄暗い照明のゲイバーでは気にならないのだが、普通の飲食店で一人だと妙に周囲の視線が気になってしまう。初めてそれを話した時は、なんだそれ、と笑ってくれていたのに。 「け、けど、俺、別に誰とも、」 「誰とも話してねぇの?」 「は……話は、したけど、でも、」 由人の手の中にはリュックから出した携帯があった。静樹は由人の話を最後まで聞かないうちにそれを取り上げ、部屋の隅に投げつけてしまった。 テレビもつけられていなかった室内に、大きな音が響く。それはまるで凶器のように由人の体を揺らした。 「どういうつもりだ」 今の衝撃では壊れてしまったかもしれない。目の前に迫る鋭い瞳から受ける恐怖から逃れたくて、由人はそんな事を考えていた。 ちゃんと説明した方がいい。名前しか知らないが、汐月は由人にとって大切な友人だ。彼に静樹との事を相談していただけで、彼が疑うような事は何一つないのだから。 浮気なんて有り得ない。 目の前にするだけで静樹しか見えないくらいに好きなのに。セックスがなくても一緒にいたいと思っているのに。 「…………もういい、」 静樹は顔を逸らすと、スーツの上着と鞄を手に出て行った。 物音を聞きながら、由人は空に手を伸ばした。 その指は彼に届かず、聞かせたかった言葉は小さく固くなり由人の喉を狭くした。 誰もいない部屋で声も出せずに涙を落とした由人は、もうどうすればいいのかわからなかった。

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