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第7話
恋人は終始ご機嫌だった。
一人で飲食店に入るのは苦手な彼が、唯一ふらりと入れると言う。
そのバーは確かに落ち着いたいい雰囲気の店だった。
入ってすぐに目に入るカウンターは重厚な作りになっていて、使い込まれた深い色をしている。
周りを見渡してみて、やはり違和感を感じた。
奥域のある店内には満席とはいかなくてもかなりの客がいたのに全てが男性で、テーブル席に並んで座り肩を寄せて酒を楽しむ面々は、親密な空気を醸し出していた。
(…カップルが座る席……ね)
静樹は根っからのゲイと言う訳では無い。
キザな言い方で表すならば、「由人だから好きになったたけで、たまたま男だった」という表現になる。
成人した社会人である恋人の由人は、可愛らしい。それはきっと自分だからそう感じるんだと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
一番奥の席で由人と酒を飲んでいる間、このバーのオーナーだと名乗った伊谷という男は、何度もこちらに視線をよこしていた。
その内の何度かは由人も気が付いていた。視線があっていたようで、照れたように俯いていた頬は赤く、それが伊谷という男のせいなのかアルコールのせいなのかは静樹には判断がつかなかった。
オーナーだという彼は、やたらと小綺麗な顔立ちをしていた。エスコートの上手そうな大人の男。もしかして、由人は彼が好きだったことがあるのかもしれない。
何故気がついてしまうのか。我ながら悔しくて仕方ない。
思春期を迎えた頃から、相手に困ったことは無い。
初体験も相手が足を開き跨ってきたくらいだ。
溜まってきたから。なんて用意周到にした記憶もなく、性的に恵まれた人生を送ってきたし、彼と付き合い始めるまで自分が不満のない下半身生活を送ってきた事に気が付かなかったのだ。
まさか自分がセックスのない生活を送る羽目になるなんて。
(……なんで相手が由人だとわかるんだろうな)
答えの出ている問いを頭に浮かべてみても気は晴れず、慣れないワインに頬を赤くしていた由人の笑顔を見る度、腹の底が温度を上げていた。
恋人の過去。知りたいと思ったこともなかったそれに、静樹の感情が振り回されていく。
良くない傾向だ。
わかっていても制御しきれない感情がある。恐怖すら感じてしまうのは、自分がまともな恋愛をしてこなかったせいなのだろうか。
「まだ顔熱いよ、風呂は明日にして寝ちゃおっかな」
明日は休みだしいいよな、玄関で靴を脱ぎながらそう話す由人の声は、初めて話をしたあの居酒屋の時と同じようにふわふわとしている。
静樹は後ろから由人の肩を掴むと、狭い玄関の壁に彼を押し付けた。
「うわっ、」
「……ご機嫌だな」
「え?な、なに、静樹?」
酔っている由人の抵抗は弱く、壁に肩を押し付けているだけでまともに振り向くことも出来ないようだ。
「ちょ、肩痛いよ、」
言われた事で力が入り過ぎていたと我に返った。
手を離せば由人は静樹の顔を覗き込んでくるだろう。
玄関の小さな明かりしかないせいで薄暗いが、嫉妬に揺れる情けない顔は見えるはずだ。
見られたくなくて、肩から手を離した直後に彼の身体に腕を回して背中から抱き締めた。
「……せ、じゅ…?」
由人に回した腕に由人の手が重ねられた。
突然の静樹の行動に由人は困惑している。
静樹は彼の耳元に唇を寄せると、意識して低い声を出し、彼の名を呼んだ。
途端に跳ね上がる由人の身体は敏感だと思う。
耳の中に囁きを落とすだけで感じるなんて、まるで女のようだ。
「由人……」
「…っ、ん、」
片手を移動させ、衣服の上から由人の下腹を撫でると甘い声が狭い玄関に広がった。
デニムのボタンを外してウエストを緩めると、躊躇なく中に手を忍び入れた。
「ふぁ、っ、ちょ、せ、静樹っ、中で、ベッド、」
二人暮しの部屋はさほど広くない。
靴を脱ぎ数歩足を動かせばベッドに辿り着く。
だが、静樹はそれに返事はしなかった。
(くそ、可愛い声でベッドとか言うなよ…)
静樹ではない男にも、そうやって可愛くベッドに行こうと誘ったのだろうか。
下着の中で由人のペニスを軽く捏ねると、すぐに固く変化した。
「まっ、待って、あっ、だ、ダメ、」
由人の手が静樹の手に重ねられ動きを止めようとしたが、酔った彼の抵抗は無いに等しい。
静樹は彼のデニムと下着を下へずらし、勃起したペニスを外へ出してやった。
「……気持ちよくないのか?」
わかっていて口にしたその質問も、彼を逃がさないように耳に落とした。
「あっ!ん、き、もちい、い、」
ペニスを擦ってやると、小刻みに身体を跳ねさせる彼が可愛いと思う。同時に湧き上がる感情は黒くうねるが、自分から与えられる愛撫で乱れる彼を見逃したくない。
「お、おれ、っ、もうで、ちゃ、」
予想以上に早い。だが、静樹の手に擦られる彼のペニスは確かに限界を迎えているようだ。
静樹が由人の肩越しに覗き込んだ瞬間、散った精液が見えた。
薄暗い中でもはっきりと見えたそれは玄関の床に数滴落ち、残りはペニスを擦っていた静樹の指にねっとりと伝ってきた。生温いそれは確かに由人の体内から出されたものだ。
(……俺の手で……)
こんなにも早く達してしまうほど気持ちよくさせることが出来た。
その満足感に浸りながら精液のついた手を眺めていたが、知らぬ間に部屋に入っていた由人がティッシュの箱を抱えて走って戻って来た。
「やめろよ、ガン見禁止!」
勢いよく何枚も引き抜いたティッシュで拭かれてしまい、残念な気持ちになった。
「……過去最高に早かったよな」
「い、言うなって、せ、静樹がらしくないことするからっ、」
「俺らしくない?」
「………こんな……、げ、んかんでとか…、シたことなかったじゃん」
静樹の指をティッシュで擦っていた動きが止まり、彼は真っ赤な頬で視線を落としていく。
改めて確認すると、デニムと下着は上げられただけでボタンは開いたままで、何ともいやらしい姿だ。
「ぷっ、」
静樹が知っている女よりも純情な反応を示すくせに、淫らな姿でいる彼におかしくなってしまった。
「な、笑うなよっ、確かに、は、早かった……けども……」
モゴモゴと言い訳するその姿が愛らしくて仕方ない。
「せ、静樹は……?」
潤んだ瞳が静樹を見上げてきた。射精したせいなのか妙に色っぽい表情をしているその姿に胸が跳ねたが、こちらに伸ばされた彼の手を掴んだ。
「……俺はいいから。それより、落ちた精液も拭いとけよ。靴で踏んじまったら匂いつきそう」
「えっ!わ、」
慌ててまたティッシュを引き抜いて玄関を拭き始めた由人を置いて、静樹は逃げるように浴室へと向かった。
あの男がお前の初めての相手なのか。
聞けなかった言葉はうねる黒い感情の中に静かに沈みこんだ。
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