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第13話

夕暮れが近付くにつれて人通りが多くなる。 由人自身もよく通る歓楽街の大通りは、日が落ちると同時に生き生きとそのネオンを輝かせていた。 一日の勤務を終えてアルバイトの美夜子に連れてこられたのは、そんな歓楽街のビルの裏だった。 あらゆる風俗店が立ち並ぶ通りの裏手は、その華やかさとは裏腹にどこか薄汚れて寂れた雰囲気が漂う細い通りになっている。 「み、美夜子ちゃん、こんな所に住んでるの?」 「いいから急いでくんないかな、ちゃんと会わせとかないと後がウザイんだから」 彼女の言葉の意味も分からないまま、あとをついて行った。 通りを歩く彼女が入って行ったのは、注意深く見ていないとわからないような、間口の狭いマンションのエントランスだった。 入口は狭いが、中に入るとそのイメージを裏切る広さだった。通りの薄汚れた空気を遮断するかのような清潔で美しいエントランスを抜け、外階段を二階にあがった。 (え、綺麗な所じゃん。歓楽街のど真ん中だけど家賃高そうだな) 寝場所を提供してやると言われ、素直についてきたがここは一体誰が住むマンションなのだろう。美夜子が住むにしても金額的に無理がありそうだが。 廊下を進み一番奥の扉に美夜子が辿り着くと、鍵を差し込む前に中から開かれた。 「わ、……ごめん、ちょっと遅れた」 「大丈夫、間に合ったよ」 部屋から出てきたのは、茶色の髪をした女性だった。キツいメイクをする美夜子とは違い、とても愛らしい顔立ちがちらりと見えたが、彼女は美夜子の首に腕を回すとキスをした。 (……んん?) 唇を離した茶髪の女性が、美夜子の後ろに立っていた由人に気が付き、ニッコリと微笑んできた。 「どーも、美夜子のハニーちゃんです」 「ど、……どうも…?」 「いいから、早く行きな。遅刻になる」 「はぁい。手前の部屋、荷物よけたからねぇ」 「ありがとう」 きちんと礼を言った美夜子は、行こうとした彼女に軽くキスをした。 嬉しそうに笑った彼女は可愛らしく手を振ると、由人達が上がってきた階段の方へと去って行った。 「ほら、小畑っち、早く入りなよ」 目の前で行われた挨拶の一連に、何故か胸がドキドキとしている。美夜子に促され足を踏み入れると、女性の部屋らしい、いい匂いがした。 「こっちがトイレ。向こうが風呂ね。さっき入ってきたすぐの扉が小畑っちが使っていい部屋。リビングはうちらがいる時には遠慮してくれる?ユカはイチャつくの好きだからさ」 広めのリビングは物が散乱していたが、とても居心地の良さそうな空間に感じた。 ベランダの窓の側に立ってこちらを見る美夜子は、その赤い唇を笑みの形にして由人を見ている。 「……み、美夜子ちゃんと彼女が住んでる部屋なのか?」 「おっそいね、気がつくの」 「だって、そんな話し聞いたこと無かったし、」 「話してねぇもん。当然しょ」 「…………だ、だったらダメだよ。俺、思い切り邪魔者じゃん」 数日分の着替えを詰めたリュックが、やたらと重く感じた。背中にあるそれのせいで後ろにふらついてしまいそうだ。 「じゃあ、どうすんのさ。実家に帰るならいいけど」 「……じ、実家はこの間家出したとこだから無理かなぁ」 「なら行くとこないんしょ。いなよ、ここに」 「いやいや、お年頃の女の子二人いるところにそんな、」 「二面性ゲイなんだから無害っしょ」 「………美夜子ちゃん。その二面性ってのやめてってば」 「小畑っちさ、自覚してないだろうけど、あんた危ういんだよ。目の前でふらふらされちゃ鬱陶しいから、ここにいなって」 話しながら冷蔵庫から缶ビールを取り出した彼女は、それを由人に渡してくれた。 由人の指の温度を奪うその冷たさが、現実感を少し薄くしてくれた気がした。 先にプルタブを引いた彼女に促され、由人も缶を開けて口をつけた。 「とりあえずパスタくらいしか作れねぇけど」 「そんな、何でもいいよ。……ごめんね、美夜子ちゃん。こんな…、いい歳したおっさんなのに迷惑かけちゃって」 「あ〜、そういうのはさ、ありがとうって言っときゃいいんだって。……うちらもこうやって暮らせるようになるまでアレコレあったし、迷惑かけねぇ人間なんかいねぇっしょ」 小さなキッチンに立つ彼女の背中を見て、あぁ、そうなのか。と思った。彼女がいつも由人に向ける厳しい言葉は、彼女自身が辛い思いをした過去からくる優しさなのかもしれない。 彼女自身のマイノリティがどんなものなのか、由人は知らない。 だが、その優しさがどこから来るものなのかは何となく理解することが出来た。 由人は空きっ腹にビールを流し込むと、よろしくお願いします。と美夜子の背中に頭を下げた。 「うう、腰が痛い……」 恋人との大切な生活空間に居候させて貰っているが、さすがにフローリングに薄い寝袋だけで眠るのは辛い。 由人は腰を叩きながら家出四日目の夜を迎えていた。 職場であるホームセンターからの帰り道にスーパーで食材を買い、歓楽街の仮宿を目指して歩いていたが腰が痛くて歩くのが辛かった。 足を重くさせるのは、クッションのない寝床のせいだけではない。 携帯の電源を切ったままの由人を探して、恋人が職場に迎えに来るかもしれないという期待を捨てきれない事も原因だ。 以前の家出の時には、由人を探して実家にもバーにも来てくれた。 (……やっぱり…、もう無理なんだろうなぁ) 帰り道に彼の姿はなくて、由人はため息をついた。 仕方ない。頭に浮かぶ言葉は感情を押さえ込むしかないそんな言葉だった。 静樹は由人とは違う。ビジネスバッグに入っていた可愛い封筒は、間違いなく女性からのものだった。 凛々しく魅力的な彼の隣に似合うのは、美夜子の恋人のように庇護欲をそそる可愛い女性なのだろう。 (……ヤバい。現実が辛すぎる……) 薄暗くなる歓楽街の通りに輝くネオンが、弱った心のせいで滲んで見えてしまう。 歩きながら泣きそうだなんて、我ながら情けない。 誰も見ていないとわかっていたが、俯いて指先で滲んだ涙を拭った。 「由人くん」 前を見ていなかった由人の身体は、前方を塞がれた。突然だったせいで、ぶつかるように抱きとめられ驚いたが、顔を上げると優しい笑顔を向けられた。 「け、圭介さん?」 「下を向いて歩いてたら危ないよ。……どうしたの、なにかあった?」 賑やかなネオンの色が、彼の穏やかな声に薄く溶けていくように感じた。 由人の目尻に残っていた涙を、圭介の指先がそっと拭いとってくれた。 歓楽街で有名な彼に憧れない者はいない。 由人が初めてこの界隈に足を踏み入れた時から聞かされている事だ。 時に暴力的なこの歓楽街において、どんな時も揺らがずにそこにある存在。 夜の艶やかな色気を纏い、しっとりと微笑む彼はいつもどこから現れるのだろう。 「……な、なんでも、」 否定しようとしたのに、拭われたはずのそこをまた涙が濡らしてしまいそうになった。 女性にも優しい彼は、由人と同じゲイだ。女性を愛する事も、抱く事も出来ないと由人に話してくれたことがある。 「……おいで」 彼の美しい指が、由人の手にあったスーパーの袋を取り上げた。 優しく肩を抱かれ、促されるままに歩き出した。 由人を甘い強引さで連れ去ってくれる。圭介のその腕に、僅かに救われた気持ちになった。

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