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第14話

由人の手を引いた圭介は、歓楽街にあるクラブに足を踏み入れた。 てっきり彼が経営するあのゲイバーに連れて行かれるだろうと思っていただけに、由人は内心焦っていた。 美しく着飾る女性達が、すれ違いざまに圭介に挨拶をしている。 (なになに、なんでこんな店に?) 「リュウ、これ預かっておいてくれないか。それとビールを頼むよ」 圭介に呼ばれた男がスーパーの袋を受け取っていたが、その男の派手さに驚いた。 長めの髪は金色に染められていて、両耳には数え切れないほどのピアスが店内の照明を反射させている。 「んだよ、また拾ったんスか」 「ちょっと、人聞き悪いな。いつも拾ってるみたいに聞こえるでしょ」 「拾ってねぇみたいに言わないでください。……ビールでいいんすね」 「うん」 奥に広がるフロアの手前に、小さなカウンターがあった。圭介に勧められて高い椅子に座ると、隣に座った圭介が唇の前に指を立てて見せた。 「ここも俺の店なんだ。秘密にしててね」 「……え!ま、マジで?二軒もお店持ってるの?圭介さんっ」 「大した事じゃないよ。でも俺の事をただの遊び人だって思ってる人が殆どだから。で、はい。口止め料」 リュウという男がカウンターの中からビールのグラスを持って来た。 口止め料だと言ってビールを出す彼は、こうして紳士的な優しさを見せてくれる。 「リュウ、彼は由人くんだよ。大切な友人だから覚えておいて」 「……はい」 金色の前髪の隙間から、射抜くような鋭い目を向けられた。リュウは由人にまっすぐに向くと頭を下げた後二人から離れていった。 「リュウにはこの店を任せてるんだ。何かあったらいつでもここに来ていいよ。俺に会いたければリュウに言えば呼び出してくれるし」 「……あ、ありがとうございます…」 大切な友人だと言ってくれたことに感謝しつつ、よく冷えたグラスに口をつけた。 「……檜山くん」 よく通る彼の声が静樹の名前を口にした事に驚き、グラスから口を離した。 「少し前に偶然会ってね。ここに連れてきたことがあったんだ」 「え……?静樹が?ここに?」 「うん。聞いてない?」 知らなかった。静樹がここに。 なぜ話してくれなかったのだろう。どういう流れで彼が圭介と共にこの場所に。 頭の中に増える疑問が渦を巻くように回り始めたが、今更それを知っても。と考えると、何も言えなくなった。 「……やけに暗い顔で歩いてるなぁって思ったけど。檜山くんと喧嘩でもしたの?」 「…ぅ、け、喧嘩っていうか、」 「セックスに失敗した?」 「え!」 動揺したせいでグラスに手が当たり、カウンターが音を立てた。半分ほど入っていたビールが勢いよく零れてしまい慌てると、一人の女性がカウンターの中からおしぼりを手渡してくれた。 「すみません、ありがとうございま、……ゆ、」 「小畑っち、そそっかしいよね。美夜子に聞いてた通りだわ」 「ユカちゃん!?」 白いおしぼりにビールを吸わせて片付けるユカは、今夜は淡いブルーのワンピース姿だった。 夕方に派手めの服で出勤する姿を見ていた由人は職種には驚かなかったが、圭介の店で働いているという事実に驚いていた。 「はぁい。ユカです。……美夜子に何も聞いてなかったの?」 「な、ないない!何となく……美夜子ちゃんにはそういうの…聞きにくいし」 「へぇ……優しいんだ、小畑っち」 新しいグラスにビールを注いでくれたユカの華やかなネイルが目に入った。それは見覚えのある色合いで、美夜子がしているものと同じだと気がついた。 「あ、これ?美夜子とお揃いなんだよぉ」 「ユカちゃんはネイルサロンのお店をしたくて軍資金を貯めてるんだよね」 「そう!圭介さんのお陰で美夜子とも一緒にいれるし、今日も頑張るよ」 無邪気な笑顔を見せるユカは、幼い印象を由人に与えた。 「もうすぐ開店だからね。楽しんでおいで」 開店前のミーティングがフロアの方で始まるらしく、彼女はそちらへと移動して行った。 「ネイルサロン……凄い。夢に向かって美夜子ちゃんと頑張ってるのか…。偉いなぁ」 「……由人くんも頑張ってるでしょ。今日も仕事帰りだよね」 「俺は……」 毎日真剣に仕事に向き合っているのかと問われれば、頷くことは出来ない。作業をしていてもふとした瞬間にどうしても静樹の事を考えてしまうし、すぐに泣いてしまいそうになるからだ。 「大丈夫。……大丈夫だよ」 由人の髪に圭介の手が優しく触れて、撫でてくれた。 怯えて何も言い出せないくせに、その場から逃げ出して迎えに来て欲しいと拗ねている。 今夜は特に自分の我儘が見えてしまう。なんて子供じみた行動なのだろう。 馬鹿げた鬼ごっこはいい加減終わりにしなくてはならない。鬼がいないのなら逃げていても仕方ないのだ。 愛しい人のあの凛々しい瞳には、もう自分の姿は映してもらえないのだから。 腹の辺りに刺激を受けて意識が浮上すると同時に、二日酔いの頭痛が由人をハッキリと目覚めさせた。 「うぅ……頭イタ……っ、」 「ほら、だから飲み過ぎじゃないって言ったのに」 高い声が耳元で聞こえ、仰向けになっていた由人の身体に柔らかいものが重なり押し付けられてきた。 一瞬美夜子が乗りあがってきたのかと思ったが、彼女がそんなことをするわけはない。 「……なんだ、ユカちゃんか……」 薄く目を開くと目の前にユカの顔があったが、違和感に気がついて勢いよく起き上がった。 「きゃあ!」 「な、なんっ、なんで、」 改めて確認したが、やはり彼女は下着姿だった。 これはどういう事だと問いただそうとした由人は、酷い頭痛に声が出せなかった。 「大丈夫?薬あるけど」 「……ッ、そ、れより、美夜子ちゃんは……」 「私と小畑っちが酔って寝てたの見てたはずなのにね。何も言わないで大学に行っちゃったよ」 「…………俺、ユカちゃんとずっと寝てたの?」 「淋しいから一緒に寝てって言ったの、小畑っちだよ?……まぁ、美夜子には誤解されたかもだけど」 ユカの話を聞けば聞くほど良くない状況なのだけは理解出来たが、壁の時計を見て出勤時間が迫っていることに気がついた。 「……ヤバい。ごめん、ユカちゃん!とりあえずシャワー借ります!あと、美夜子ちゃん、今日はバイト入ってたかな?」 「入ってたよ。夕方から。じゃあ、私は寝直すからおやすみなさい」 彼女は欠伸をすると下着姿のままで由人の寝袋に潜っていこうとしていた。 「ダメだってば、ユカちゃん!ちゃんと自分のお部屋で寝てください!」 酒臭い身体をシャワーで流しながら、由人は美夜子を怒らせたのではないだろうかと焦っていた。 夕方に美夜子が出勤してきたらすぐに謝ろうとしていたのに、こんな時に限って由人は店内ではなく、広い倉庫で納品された商品のチェックに回されていた。 謝るなら早い方がいいだろうと、家出をしてから電源を入れていなかった携帯を手にしたのに、長らく放置していたせいで充電がなく使用できなかった。 「よし!終わった!」 ノルマの仕事を終わらせて従業員用の通路を走り、通用口付近にいた他のアルバイト達に声をかけると、美夜子はもう出たと言われてしまった。 すぐに荷物を取りに戻り、由人も職場をあとにした。 帰り道は同じなのだからすぐに見つかるはずだ。予想通りホームセンターを出てから数分もしないうちに彼女の後ろ姿を見つけたが、彼女がスーツ姿の男と話していることに気がついた。 (……せ、静樹……?) 久し振りに目にする彼の姿に心臓が急激に騒ぎ始め、走っていた足は勢いをなくした。 見つからないように近付いた由人は、静樹の後方にある自販機の影に身を忍ばせた。 (なに?なんで静樹が美夜子ちゃんと話してるの?) 彼は仕事帰りなのかスーツ姿だ。もう少し顔が見える位置に移動したいが、それをするとこちらに気づかれてしまうだろう。 (うぅ、やっぱりスタイルいい……。後ろから見ても格好いい…!) 大学の頃もこうして彼を眺めては胸をときめかせていた。彼がそこにいると、周囲の誰もが霞んで見えてしまう。 由人の位置からは美夜子の表情がなんとか見える程度だった。何を話しているのかも聞こえず、普段からあまり表情に変化のない美夜子のせいで、会話内容も全く読み取れない。 だが、間違いなく由人のことを話しているのだろう。 待ち侘びていた彼の姿なのに、こうして目の前にしてしまうとやはり恐怖で竦んでしまう。 迎えに来て欲しいと願っていた。けれど、別れ話をしに来たのならどうすればいいだろう。 この期に及んで足掻いている情けない自分に、また泣きたくなっていた。 (……何なんだよ、俺…) ぐす、と鼻を鳴らして視線をあげると、美夜子と目が合ったような気がした。 咄嗟に自販機に背中をつけて姿を隠したつもりでいたが、俯いた由人の視界が近寄ってきた人物の影で薄暗くなった。 「……小畑っち。なにしてんの?」 「………み、やこちゃん……お、お疲れ様デス」 「うん、お疲れ。なに?言い訳聞かせてくれるんだ?」 自販機に手をついた彼女に逃げ道をなくされている状況で、由人はその長く黒い睫毛が怒りを映しているように感じた。 「あ、あのっ、昨日たまたま圭介さんに会って、ビールご馳走になった店がユカちゃんの店だったんだよ。お、覚えてないけどなんかすっごく酔ったみたいであの、ユカちゃんに一緒に寝てって言ったみたいで、でも俺何もしてないから!でもあの、ごめんなさい!」 幸せに暮らしている二人を仲違いさせる訳には行かないと必死になって謝り、手を合わせた。 これで許して貰えなければ土下座しかないかと覚悟していたが、目の前の美夜子は顔を俯かせて肩を震わせていた。 「…………ふ、あははは!小畑っち、必死過ぎ!あはは!」 彼女は由人の肩を何度も叩きながら大笑いしている。 「バカだね、ホント。二面性だけどゲイじゃん。なんの心配もしてないっつーの」 彼女は笑い過ぎて目じりに滲んだ涙を、美しいネイルを施した指で拭っていた。 「……や、でもほら…、美夜子ちゃんが嫌な気分になってたら…。何もなくてもムカついてるならそれは俺のせいじゃん……!」 浮気なんて有り得ないと分かっていても、人は嫉妬する生き物だ。その辛さと苦しさは自分が一番知っている。 「…小畑っち。そこはね、うちらが二人で乗り越えるべきもんなんだよ。あんたは自分の事、まずやんなきゃでしょ。……別に無断外泊でもいいからね。頑張りなよ」 美夜子はそう言うと、由人の太ももを力一杯叩いて背を向けた。 痛いと声を上げかけたが、離れていく彼女のそばをこちらに向いて歩いてくる静樹が見えて息を詰めた。 いつも涼やかでいる目元が好きなのに、どこか疲れたように見える彼は、不機嫌そうに眉根を寄せている。 「……あ、あの、お疲れ……。し、仕事帰り?」 正面から顔を見れなくて目を逸らしたままそう言うと、今度は静樹が自販機に手をついて由人の顔を覗き込んできた。 「今のはどういうことだ。鍵を置いて出て行ったのはあの女と暮らしてるからなのか?」 「…え、や、美夜子ちゃんの……家に居候はさせて貰ってる、けど、」 同性の恋人と住んでいる部屋に、とは話していいものかどうかわからずにどもると、静樹の手が由人の衣服の襟元を掴み締め上げてきた。 「一緒に暮らしてるのか?お前、ゲイじゃなかったのかよ!」 「……っ、せ、静樹、くるし、」 「俺からは逃げておいて、あの男とは会ってるのか?」 首元が苦しかったが、詰め寄る静樹の方が苦しそうな顔をしていることに気がついた。 「……由人……っ、」 徐々に緩められていく彼の手が、由人の服を掴んだまま小刻みに震えている。 数日ぶりに耳にする、彼が自分を呼ぶ声。 「…………せ、じゅ、」 その呼びかけだけで、胸の奥がぎゅうと掴まれてしまい、その場から動けなくしてしまう。 静樹の手が衣服を放した後、その腕が由人の身体に回されて抱きすくめられた。 強く抱かれ、彼のスーツの胸元に顔を押し付けられていたが、自販機の横を歩く人々がこちらに注目していることに気がついた。 若い女性達数人が、二人に携帯を向けているのが見えて慌てて声を出した。 「せ、静樹!人に見られてる、あの、はなして、」 「うるせえ、ちょっと黙ってろ」 彼の素の話し方が聞こえ、由人は素直にそのまま抱き締められていた。 (どうしよう……) 人目も気にせずに抱き締めてくれる。彼らしくないその強引さに涙が滲むほど嬉しくなっている。 これほど情熱的に触れられるのは初めてかもしれない。 由人は耳元に感じる彼の熱い吐息に、静かに涙を流していた。

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