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第10話

10  ――その頃、当の犬塚はというと。  仕事の合間に、連続で震えるスマホに違和感を覚えて、画面を見る。新着のメッセージが幾つか届いている通知に気付き、メッセージアプリを開いて――息を呑んだ。  ガタリ、と思わず席を立つ。周囲の目線が一気に此方に向いたが、気にしている余裕はない。 『駿河さんの後輩です』 『今駿河さんの家にいます』 『早く来ないと』 『大変なことになりますよ』  そう、短い文章が連続で送られていた。更に続けて、赤い顔で苦しそうな、衣服が乱れた駿河の画像まで添付されていた。  ――最近、駿河からの連絡がなかった。  随分忙しいのだろうと、そう思っていた。  後輩を名乗る男は、初対面からいけ好かなかった。  ――つまり、仕事なんざしてる場合ではない。 「すみません、熱が出たので帰ります」  早口に言うと、迅速に仕事を片付けて、オフィスを後にする。  勢いのよさに、上司も「お、お大事にね」と犬塚を見送るしかない。  幸い、普段の勤務態度は良好中の良好だ。不審がられることもないし、今日は急ぎの仕事もない。  というわけで、一刻も早く恋人の家へ向かうのが、現時点での最優先事項だ。    何度も通っている駿河の家までの道は、しっかりと覚えている。走って駅まで向かうのがもどかしくて、途中でタクシーを拾った。頭を過ぎるのは、スマホに送られてきた一枚の写真。熱っぽく乱れた表情は、前回の逢瀬の触れ合いを思い出させるものだ。あんな表情は、自分だけが知っていればいい。そう、思ったばかりだというのに。  あの後輩という男は、明らかに駿河のことを、“そういう目”で見ている。生憎、同族には敏感だ。当の駿河は鈍感過ぎて、きっと全く気付いていないだろうけれど。  ――何もないといい。  たった十分の距離ももどかしくて、苛立つように足が揺れる。  こんな時に限って、信号は赤ばっかりだ。「早くしてください」なんて運転手に無茶を言う姿を見られたら、「らしくない」と言われてしまうだろうか。  マンションの四階に、駿河の部屋はある。エレベーターの乗り降りすら焦れる勢いで、すぐさまその部屋の前へと辿り着いた。残念ながら、合鍵は持っていない。今度、交換を申し出よう。そう心に誓いながら、気付いたら、駿河の部屋の扉をドンドンと強い勢いで叩いていた。  ガチャリと扉が開いた先、顔を出したのは――。 「いらっしゃいませ?」 「なんで君が、」  あの憎らしいメッセージを送ってきた、後輩とやらが、スーツ姿で爽やかに笑って立っている。 「秋は、秋はどうしてるんだ」 「あっは、そんなに焦ったらイケメンが台無しですよ」 「うるさい」  笑う後輩を押し退けて、扉を抜けた。意外にすんなりと入ることができた。玄関の三和土には、見慣れた駿河の革靴とスニーカー。ちゃんと、この中にいるようだ。  靴を脱ぎ捨てるようにして、ずかずかと部屋の中に入った。何度か来たこの部屋は、1Kの間取りで、キッチンのある廊下を抜ければ、寝室兼リビングがある。ゲーム用のテレビの向かいには、壁沿いにベッドがあり、その上には――。 「秋……、」  赤い顔で、苦しそうに呼吸をしている駿河の姿があった。  多少、衣服は乱れているけれど、高熱に魘されているように見える。  苦しげな様子に眉根を寄せ、駿河の頭を撫でる。  そして振り返るのは、後ろで扉の脇に寄りかかって此方を見ている後輩とやらの姿だ。 「何もしてないよな?」 「するつもりだったら、呼んでませんて」  疑惑の眼差しを向けると、後輩が苦笑をして、両手を掲げた。まるで“降参”のポーズ。 「いや、正直に言うと、最初は手を出すつもりでした」 「は?」 「でも、その人、あなたの名前しか呼ばないんですよ。ここまで運んできたの俺なのに」  嫌になるよなあ、なんて笑う後輩の顔は、辛そうにも見えた。  ああ、もしかしてこいつ、本気で秋のこと。  覚えがある感情に、胸が痛む思いがすると同時に、嬉しさが込み上げてくるのも事実だ。 「そこまで悪者になりきれなかったってことで、邪魔者は退散させていただきます」 「あ、ああ」 「駿河さんのことよろしくお願いしますね」  後輩は、感情を押し殺したように、笑う。 「少しでも大事にしなかったら、すぐ奪いますから、そのつもりで」 「わかってるよ、……ありがとう」 「いいえ、どういたしまして!」  塩を送ってくれながらも、宣戦布告をする後輩に、目を細める。  最後は自棄になったような勢いで返されて、少し笑ってしまった。  背中を向けて玄関へ向かい、少し後に、ばたりと扉が閉まる音がする。  好敵手がいなくなれば、あとは、家主と二人きり。  ベッドを見下ろすと、相変わらず赤い顔で、息苦しそうに眠る駿河の姿がある。  ――ああ、もう。  顔を見るだけで、あれだけひやひやしてもどかしかった思いが、何処かへ消え去ってしまったようだ。  ――こんなに本気になったのは、いつ振りかな。  もしかしたら、初めてかもしれない。  色素の薄い髪を撫でて、額へと口付ける。 「好きだよ、――秋」 「ん、」  堪えきれずに囁いたら、眠っているのにも関わらず至極幸せそうにふにゃりと笑うから。  布団越し、眠っている駿河を抱き締めた。  願わくば、もう少しこのままで。

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