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第11話
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――どれくらい寝込んでいただろう。
覚えていないくらい熟睡した。ゆっくりと瞼を持ち上げると、見慣れた家の天井が見える。カーテンの隙間から見える窓の向こうは、もう暗い。なんで俺家にいるんだっけな……、と、頭を起こしたとき、すん、と鼻を鳴らす。鼻孔を擽る、いいにおいがしたからだ。キッチンの方から、コトコトといい音もしている。
なんだろう。
まだ全身が重たいけれど、ゆっくりと身体を起こした。
「ん、起きたか。大丈夫?」
耳に入るのは聞き慣れた声。
キッチンの方から姿を現したのは、ジャケットを脱いだ白いシャツに、紺のスラックス姿の、犬塚さん。えっ、なんで?
「い、いぬづかさ、なんで!?」
「いいから、横になってろよ」
「え、え?」
立ち上がろうとしたけど、力が入らなかった。
それを窘められて、犬塚さんがお椀を持ったままベッドの端に座る。
「お粥なら食べられるか?」
「うっ」
お椀の中には、湯気を立てる真っ白いお粥。所々赤く見える梅肉が埋まっている。こ、こんなの、久し振り過ぎる。
驚く間もなく、犬塚さんは優しく笑って、スプーンに一口分のお粥を乗っけた。
こ、これは、まさか。
ふう、と息を吹きかけて冷ましたそれを、俺の口許へと持ってきてくれる。
「あー、ん」
思わず声を出す俺だ。
少し熱いけれど、身体に染みる。
塩気が丁度良い。
こく、と喉を鳴らして飲み込んで、犬塚さんの肩に頭を預けた。
「う、うまいい」
「そりゃよかった」
「俺、俺ー」
犬塚さんの肘の辺りを、ぎゅっと掴む。
「犬塚さんと結婚するー」
「はいはい」
「あっ、本気にしてないでしょ」
「はいはい」
もー。
本気と書いてマジな俺の愛情表現を受け流す犬塚さんの顔は、今まで見たことがないくらいに優しくて、胸の辺りがきゅんと疼く。
耳まで熱くなってきそうで、ぎゅう、と犬塚さんに抱きついた。
好きすぎると胸が苦しくなるんだって、生まれて初めて知ったんだ。
犬塚さんのお粥は、今まで食べたお粥の中で最高に美味しかった。あーん、付きだから当然だ。愛情もたっぷりで、心にまで染み渡るようだった。
一粒も残さずに完食して、「ごちそうさまでしたー」と手を合わせる。
「超美味しかった!」
「ん、食えてよかった」
笑って頭を撫でてくれる犬塚さんは優しい。
――そういえば。
「犬塚さん、なんでここにいるの?」
当たり前の疑問を、今更ながらぶつけてみると、犬塚さんは面食らったような顔をしている。
あー、と気まずげな間。
それから、ぽつぽつと話してくれて、思い出した。
あの後輩が、犬塚さんにイタズラなメッセージと写真を送ったことを。
「脅してきたけど、何もされてないだろ?」
「あああああたりまえでしょ! されるわけないじゃん!」
されたとしても覚えているかどうかは自信ないけど、でも、身体には何の違和感もない。
犬塚さんは俺の頬を撫でて、優しく笑った。
う、その顔、ときめくから止めてほしい。
「よかった。後でちゃんと、礼言わないとな」
「うん……」
確かに、世話になってしまったのは事実だ。
今度美味しいものでも奢ってあげよう。
犬塚さんが、ぽん、と俺の頭の上で手を弾ませた。
くすぐったくて目を細めると、その顔が、今度は心配そうに俺を見る。
「無理、しすぎるなよ」
「うん、ありがとー」
つい力が抜けて、犬塚さんの肩に擦り寄るみたいに頭を預けた。
「あのね、」
「うん?」
「犬塚さんが傍にいるだけで、HPもMPもマックス回復すんの」
――すごくね?
って、内緒話みたいに囁いて笑えば、犬塚さんが目を丸める。
それから、ぎゅ、と強く抱き締められた。
「あー、もう。今度は自分で呼べよ、後輩に頼らないで」
「ん。……ヤキモチ?」
「そうだよ、悪いか」
「ううん、嬉しい」
なんて、いつかみたいなやり取りをして、笑った。
まだ完全に治ってはなくて、頭はふわふわするし、全身じんじんするのは間違いない。あんまりくっついて、犬塚さんにうつしたら悪いって思うけど、離れられなかった。
「なあ、秋」
「うん?」
「お前が落ち着くまで、俺も止めようか。ネトゲ」
「え?」
「元々そんなにどっぷりってわけじゃないしな。止めようと思えばいつでも止められる」
まさかの申し出に、俺は驚いて犬塚さんを見る。
――きっと、たまにインして、犬塚さんが違う子と遊んでたり、進度の差が出ちゃったりしてるのをうじうじ気にしてたのを、犬塚さんは気付いてたんだ。
「秋が決めていいよ」
「いやだってそんな」
「俺は、秋と一緒にできればそれでいいしなあ」
俺の頭に顎を埋めながら、のんびり言うのは犬塚さんの本心なんだろう。
その言葉に甘えるかどうかは別として、俺のことを考えてくれてるのが嬉しくて、俺は犬塚さんに抱きついた。
「まあ、決めたら言って」
「うんー」
「今日は大人しく寝てなさい」
「はあい。……犬塚さん、」
「うん?」
「添い寝、所望してもいいですか」
ちらり、時計を見たら、もう二十二時を回っている。
明日も仕事なのはわかってるけれど、甘えたが顔を出してしまった。
視線が合うと、犬塚さんが、眉を下げて笑う。困ったような嬉しいような、その顔も、好き。
「あーあー、はいはい」
そして改めて俺を寝かせて、抱き締めてくれた。
「へへ。ありがとー」
「ん。おやすみ」
「おやすみなさい」
そう言葉を交わすのは、ちょっとくすぐったくて、大分嬉しい。
額へ柔らかなキスの感触を受けながら、俺は瞼を伏せた。
――隣の温かい体温を堪能すると、さっきとは比べものにならないくらい、安眠できた。
犬塚さんって、やっぱりすごい。
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