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第12話

12  ――嘘みたいにぐっすり眠れた、次の日の朝。  カーテンの隙間から差し込む朝日と、小鳥の囀り、そして台所から聞こえるトントンと野菜を切る家庭的な音に、うとうとと微睡んでいた俺の意識が覚醒する。特に最後のやつはここ数年暫く聴いたこともない音で、これは夢かと、勢いよく起きてしまった。 「起きたか、調子どう?」  そして微笑み掛けてくるのは理想のお嫁さん――ではなくて、理想のカレシの、犬塚さんその人だ。  前に置いたままの寝間着姿の犬塚さんが、出来立ての味噌汁とご飯をローテーブルに運んでいるところだった。ちなみにおかずは、しっかり巻かれた玉子焼き。デザートに、すり下ろしたリンゴ入りのヨーグルトなんてのも用意してくれてる。俺の家の貧相な冷蔵庫の中身から、よくこれだけ理想の朝食を作ってくれたと感謝しかない。犬塚さんすごい。 「う、犬塚さんすごいい……ありがとう……」  俺の分のご飯がお粥なのにも愛を感じる。  のそのそ起き出して、テーブルの前につくのもそこそこに、犬塚さんの背中に抱きつく俺である。感謝の気持ちはしっかり伝えなきゃね! 「はいはい。……まだ下がりきってないな、今日は一日休めよ、仕事」 「え」 「え、って。行く気だった?」 「だって休みますって電話するの気まずくないすか」 「なんだその理由、社畜か」 「うっ」  否定できない……。  俺の額に大きな掌を宛がって、熱を測る仕草もイケメンだ。  確かに、昨日よりは随分すっきりしているけれど、まだまだ身体はだるい。節々も痛いし、ぼうっとするのは否めない。  今出勤したところで、またぶっ倒れて迷惑を掛けるのは目に見えている。 「代わりに電話してあげようか」 「さ、さすがに恥ずかしい」 「だろ。自分で頑張りなさい」 「ご飯食べてからー」  犬塚さんに言われたら逆らえない。  でも、今は目の前のご馳走が先だ。  ――その前に。 「おはよう、と、感謝のちゅー」  宣言してから背伸びして、犬塚さんの頬に口付けた。  何か言われる前に、すっと離れて、テーブルの前に着席する。  したもん勝ちって、こういうこと。  『昨夜はお楽しみでしたか?』  犬塚さんの美味しい美味しい朝食を頂いていると、ぽぺん、と間の抜けた音がして、スマホがメッセージの着信を知らせた。画面に出るその文字は、勿論犬塚さんの目にも留まる。犬塚さんの箸が止まる。うわあ。 「誰?」 「後輩」 「返事すれば」 「食事中ー」  俺は今この、デザートの、すり下ろしたリンゴ入りヨーグルトを堪能してるところです。甘酸っぱさが堪らないし、何より重たくなくてするする食べられちゃう。犬塚さんの愛、半端ない。美味い。  ぽぺん。  あ、また、着信。 『なあんて、冗談です。先輩今日出社しちゃ駄目ですよ、って部長も昨日言ってましたから。月曜から……』  長いメッセージだから表示は途中で途切れてる。  自然と、犬塚さんと、俺の視線は、俺のスマホに注がれる。  ――意外と、いいヤツかもしれない。 「意外といいヤツだな」  犬塚さんもそう思ったみたいだ。 「そうだね、お礼しないと」 「絆されるなよ」 「ヤキモチ?」 「そうだよ」 「大丈夫大丈夫、犬塚さんのがいい人でイケメンだから」 「あ、そう」  あ、照れてる。  少しも残らず皿を空にした俺は、「超ご馳走さまでした!」と手を合わせて頭を下げた。  すげー美味かったし、元気になった気がする。  食器を洗うと申し出たら犬塚さんに制されたから、大人しく座って、スマホで後輩に返信をした。  そして、すごーく気が重かったけれど、職場に電話をする。  滅茶苦茶怒られるかな、と思ったら、意外や意外、「無茶させて悪かったな」と上司に謝られてしまった。「月曜からは完全復活っすからー」といつも通りに答える。  早く治して、戻らないと。  俺が電話をしている最中、朝の支度を済ませた犬塚さんは、スーツをばっちり着こなして、かっこいい。  対する俺は、白いTシャツと黒いスウェットっていうザ・寝間着姿で、申し訳なくなる。 「そろそろ行くな」 「あ、見送る!」  鞄を持って声を掛けてくれた犬塚さんに慌てて立ち上がる。  キッチンの前の狭い廊下を抜けて、玄関に向かった。  革靴を履く犬塚さんを見守っていると、立ち上がった犬塚さんが、俺の頬に触れてきた。 「じゃあ、行って来ます」 「!」  そして、唇に触れるだけの軽いキス。  不意打ちの、行って来ますのちゅー、に目を丸める。 「な、なんか」 「うん?」 「一緒に住んでるみたいだね……」  め、滅茶苦茶照れた。  熱のせいだけじゃなくて熱い顔を自覚して俯くと、犬塚さんが優しく頭を撫でてくる。 「それもいいな」 「えっ」 「じゃあな、何もしないで寝てろよ」 「あ、うん。行ってらっしゃい……!」  去り際までカッコイイ犬塚さんは、本当にずるい。  ばたりと扉が閉まって、しんと静まる中、俺は思わずその場にしゃがみ込んだ。  ――きっと一生、犬塚さんには適わない。

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