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さよなら僕の村
昨晩は雨が降っていたからか、ぬかるんだ地面に足を取られそうになる。冬雪は咄嗟に木をつかんで滑落を免れた。
いくら冬雪が普段から山に入りなれているとはいえ、雨の降った次の日に山を登るのは容易ではない。先代の染め物職人である冬雪の祖父が亡くなってから冬雪一人で何度も山に染め物用の草花を取りに入った。
村の同年代の中で一番体の小さい冬雪だったが、運動神経だけは村長の息子である黎に続いて良かったため、何とかひとりで山に入っていけていた。それでも半分ほど登ると体力を随分と消費してしまい、ちょうど良い岩などに腰をおろして休まなければならなかった。
「帰りたい……」
思わず本心が口から漏れた。いつもは村に帰ることが憂鬱で仕方がなかったのに、それも今となっては懐かしい思い出だ。
村の人々から冬雪の一家は嫌われていたが、それでも綺麗な染め物は評価が高く、催事などの衣装は必ず冬雪と祖父が染めた布が使われていた。迫害されるのは悲しかったが、染めた布を着ている人を見るのは嬉しかったし、唯一の友達である黎がいたからやってこられた。
そんな日々も今日で終わりだ。今日、冬雪は死ぬ。冬雪は生まれたときから左足の付け根に朝顔のような痣がある。村の言い伝えによると、それは土地神への生贄の印であり、成人する日に黒曜山の山頂の社に身を捧げに行かなければならないのだという。
村にとっては忌み嫌われている冬雪が、村のためにできるたったひとつのことだというのに、死にたくないと思ってしまう。
空を仰ぐと、茜色に1羽、真っ黒な鴉が飛んでいる。広い空にひとりぼっちなその鴉がまるで自分のように見えて胸が苦しくなる。
行かなくちゃ、自分にはこれしかできることがないのだから。
気分は重いまま、それでも歩みを進める。ようやっと山頂付近に着くと、草を踏む音が耳に届いた。
「おい、冬雪……」
聞き慣れた声に振り返れば、そこには黎がいた。もう夕陽も殆ど沈んでしまっているというのにこんな山奥にいるのは危ない。生贄の冬雪はともかく、村長の息子である黎が戻っていないとなれば村中が大騒ぎだろう。
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