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8-2 穏やかな日常は愛を育む
この日は、少し様子が違った。いや、これといって特別な事があるわけじゃない。ただ、あいつの様子が違った。妙にソワソワして落ち着かない。
何か考えている。そう感じるには十分すぎるものだった。
その夜、俺はあいつの部屋に誘われた。いつもは酒を楽しんだりだが、今日はそういう様子がない。その代わり、部屋にはランプの明かり一つで、側には薬の瓶がある。
なるほど、ようやくその気になったらしいな、ヘタレめ。
ランセルは風呂上がりのままベッドに腰を落ち着けている。俺も夜着のまま、そこに近づいていった。
「やっとその気になったのか、ダメトカゲ」
「これでも、勇気を振り絞っているんです。あまり意地悪を言わないで下さい。泣きますよ」
「怖いこと言うな、萎える」
じゃれるような言葉を紡ぎながら、俺はランセルに向き合い、どちらともなくキスをする。
確かめるような、恐れるような動きだ。信じられないだろ、レイプ魔が生娘みたいなキスをするんだ。
「これでも、凄く苦しかったんです。また、薬が反応しなかったらって。言葉で拒絶されるよりも胸に刺さるんですよ、あれ。心から拒絶されているんだって、如実に示していて」
「お前、俺にしたことを言ってみろ」
「…レイプです」
ガックリと肩を落とすこいつを、俺は笑う。
コイツが気にして反省しているのを知りながらそこを指摘するのは意地の悪い事だろう。俺だってもう許している。あれを埋めるくらいには、コイツは頑張っている。
笑って、俺は薬を一つ手に取る。ビクッと震えたランセルは俺を凝視している。今更何を恐れる。お前がこの1ヶ月続けた努力の成果ってものを、見せてやろうと言うのに。
「こい、ランセル。確かめてみろ」
薬を乗せた手に、恐れながら手を乗せるランセル。俺はそのまま、柔らかくキスをした。
優しく触れたはずの唇は、次第に深くなっていく。唇をわられ、侵入する舌が絡め取っていく。背に甘く、予感が走っていく。
気が済むまで互いに口腔を貪った。そして、俺はランセルの前に握った薬を広げてみせた。
「あ…」
途端、歓喜にランセルの声が漏れる。薄紅に色づいた薬を見て、奴の瞳が僅かに潤む。信じられない物を見るような目に、俺が笑った。
当然だ、俺も今はコイツを受け入れている。嫌だと思ってこうした事をしているんじゃない。コイツが望むなら、俺もそれに寄り添ってみよう。そのくらいには思っているんだ。
「満足か?」
「なんて言ったらいいか…胸が一杯で…」
「大げさだな。子供が出来たわけじゃないんだぞ。まだスタートだ」
「そうなんですけれど…」
薬に色がついた。たったそれだけでこの喜びようだと、もし万が一懐妊なんて事になったらコイツ気絶するんじゃないだろうか。
まったく、面白い奴だ。恐ろしいほどポジティブかと思えば、もの凄くネガティブで。押しが強いと思えばまどろっこしい。
中間ってものがないランセルに、俺は振り回される。じつに、楽しく。
「ランセル、ちゃんと言え。これを使って、何をしたい」
口の端を上げて俺は言う。拒む気はない、だがちゃんと伝えろ。お前の言葉で、俺は安心する。
実に神妙な顔をするランセルは緊張している。そして、三つ指立てて俺に頭を下げた。
「グラースさん、私と子作り前提でセックスしてください」
「お前、相変わらず酷い誘い文句だな…」
どうしてか、大事な部分でコイツは本心丸わかりの言葉を使う。しかもしばし熟考の後にこれなんだ。センスが無いとしか言いようがない。いや、余裕がないのか。
だが…そうだな。ランセルがこういう時に口が上手いほうが違和感か。
俺は笑い、グッと体を寄せる。ランセルの夜着の前を握って、いい顔で笑った。
「こういう時は一言、愛していますでいいんだよ」
目を丸くするランセルの目の前で、俺は色づいた薬を飲み込んだ。
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