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9-3 隔てられた世界
意識が浮上する。だが同時に、感覚が浮遊している。俺は目を開けて、そこが現実では無いのだと思った。
薄暗い場所だった。周囲には何もない。そこに俺の体だけがぼんやりと浮き上がっている。そして、目の前には鏡のようなものがあった。
『これはどういうことです!!』
突如した聞き覚えのある声に、俺は目の前の鏡を覗き込んだ。離れていては光るばかりのそれは、近づけば何かが見える。手をついたら、そこはガラスの様な質感がする。だが、あまりに硬い。
その鏡の外に、ランセルがいる。そして、横たわる俺も。
「!」
何が、起こっている? 俺はここにいる。では、今この鏡の外で眠っている俺は、なんだ?
ランセルは見た事のない表情をしている。憎悪、怒り、憎しみ。そんなもので塗り固められたものだ。
『この人は関係ありません! 直ぐに魂を戻して下さい!』
「…魂?」
俺は自分の体を見つめる。暗い世界で、浮き上がる体。どこか頼りなく、浮遊する感覚。
俺は、死んだ?
そう思えてくる頼りなさに、震えた。
『関係ない? お前が見合いを断る理由はコイツだろう』
聞いた事のない壮年の男の声がする。映像に映らないが、いるのだろう。ランセルはそいつに向かって睨み付けている。
『何がいけないのです! 愛する人を見つけ、この人と添い遂げたいと願って何が悪いのです! ちゃんと子作りならしていますよ!』
『確率の問題だ。そいつ一人とやるよりも、複数人を相手にしたほうが確率は上がる。バカじゃないんだ、分かるだろ』
『分かっていないのは父上の方です! 何故好きでもない相手とそんな事ができるんですか!』
ランセルが怒っている。俺には見せた事もない剣幕で、怒鳴り立てている。
だが、コイツの主張が通用するような相手ではないのだろう。それは、その場に流れるものから察した。
『そんなにそいつが大事なら、お前は見合いに励む事だ。これから毎日相手をつける。見事に子を成せば、戻してやろう』
『!』
「!」
何を…要求している? 俺を捕らえたのは、そういう事か。ランセルに言う事を聞かせる為に、俺を利用するのか。
食い入るように鏡の外を見る。ランセルは震えていた。悲しみ、苦しみ、怒り、憎悪。それらの入り交じる表情に、俺は鏡を叩いた。
「ランセル、そんな事をしなくていい! 俺の事など放っておいていい!」
やっと、大事なものをつかみ取ったんだ。やっと、笑うようになったのだと聞いた。そんなコイツを、これ以上酷い方法で踏みつけるのはやめてくれ。その為に、俺を使うのは止めてくれ!
『…分かりました」
「っ!」
色の無い顔で、ランセルは答えた。感情など捨てたような無表情が、俺に刺さる。
「ランセル、やめてくれ。頼むから、もういいから止めてくれ…」
お前が苦しむ事じゃない。お前の主張は正しいんだ。道具に戻ろうとしないでくれ。
俺は、後悔していた。あの場から逃げればよかった。それが出来ないなら、俺は死ぬべきだった。利用されるなんてこと、決して許すべきじゃなかったんだ。
映像が変わる。ドアが見える。どうやら俺は何かの器に入っているようだった。おそらく、あの首飾りだろう。
鏡を叩いてみても、びくともしない。魔法を使おうとしても、上手く力が入らない。それでも諦められなくて、俺は一晩中無駄だとどこかで思いながらも鏡を叩く事を止められなかった。
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