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第5話 Christmas Eve Jazz session
マスターが多衣良にウィンクを投げる。
多衣良はにっこりとほほ笑み一息ついてアート・ブレイキーのMoanin'に繋いだ。
冒頭、ピアノがリードする曲だ。
ブラットとジョンが多衣良に応えるようにノッてくる。
ピアノが勢いづいて軽快なテンポになる。おいおい、そんなに急ぐなよ。
俺はついていくのにいっぱいいっぱいなんだ。とても仲間の顔を見る余裕もない。
気づけばうなじから汗が流れていった。店内の暑いくらいの暖房と強烈な照明。
独特な圧迫感のある雰囲気。
客席からの大勢の息遣いが曲を重ねるたびに少しずつ荒くなっていくが肌でわかる。
多衣良の滑らかな演奏とそれに伴う背中の反りや跳ねた細い指先、陰影の目立つ顔立ちが客席を魅了し、何人かの女性客から漏れるようないやらしい溜息が聞こえる。
ピアノが嫌い?どこがだよ。
多衣良の顔を除く、あのピアノリサイタルの動画とは別人のように人目も気にせず音楽を全身全霊で奏でてますって顔して。
でも美しい。こいつには今ピアノ以外なにもない。
これがプロなんだな。
カランカラン――。
演奏中に遅れて客が入ってきた。誰もそれには気づかない。
音はすべて演奏にかき消されてしまうからだ。可聴音域を広く持つ俺だけが気づく。
「多衣良!!」
俺は思わず叫んだ。
だが聞こえない。
俺はドラムを演奏とは無関係で鳴らす、シンバルの不協和音で演奏しながらみんながチラリと俺を見る。
「多衣良!親父さんだ!」
ドラムを叩きながら口を動かし、何とか伝えると多衣良が入口を見る。
そこには初めて多衣良に会った時に一緒にいた女性と年配の男性が立っていた。
店に入って多衣良の名前を呼んだ声がこいつそっくりだったのだ。
多衣良の表情を見ても間違いなさそうだ。
曲の演奏が一息つくと、マスターが多衣良に近寄った。
「老人は少し休憩だ、多衣良。好きな曲を弾いて繋いでおいてくれ」
「え、でも……」
「大丈夫、隼人がついてきてくれる、ジャズでもクラシックでもなんでもいい。好きに弾いてごらん。僕は到着したお客様に飲物を出してくるよ」
マスターがウィンクする。
「多衣良」
俺が呼びかけると多衣良は不安そうに振り向いた。
さっきの勢いはどうした。
「俺が知ってる曲にしろよ!それ以外はやめろ」
マスターも人が悪い。俺はアナタ達についていくのがやっとなんだ。
必死の形相で伝えると多衣良は笑って、「OK」と返事をした。
多衣良は小さく深呼吸すると、ビル・エバンス「Waltz For Debby」を弾き始めた。
日本で最も売れたジャズアルバムの曲だ。
ピアノとドラムそしてベースを入れた割と単調な音楽。
言い方を変えれば少し退屈な曲だ。
その証拠に今までなかった人の話し声が聞こえ始める。
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