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第8話 二枚のチケット

走ってきたせいか暑くて、第一ボタンを外しながらピアノに一直線で向かった。 途中躓きそうな自分に構っていられないくらい僕はピアノに夢中だった。 ピアノに着くと、マスターが僕にウィンクを投げた。 その瞬間、鳴らしていたトランペットが曲に変わった。 今この舞台の指揮者はマスターだと全員が理解したようにその演奏に合わせて残りの三重奏が組み合わさる。 勢いが余って、間違ってもそれを気にするほどジャズは小さくなかった。 リズムさえ乗っていればどんなアレンジをしてもジャズになった。 音が跳ねる。 混ざり合った演奏が、振動が、内臓を叩いてくる。 マスターが言っていた即興にしたがる部分がほんの少しだけわかったような気がした。  マスターが曲を変えた、リー・モーガンの「Candy」だ。 僕と目が合う。 付いて来れるよな?と聞かれているようだ。 思わず笑みがこぼれる。 舐めるなよ。 かれこれ十四年、毎日ピアノを弾いてきたんだ、一ヶ月ちょっと休んだからって腕が鈍ったりなんかしない、 よっ。 テンポの増すトランペットにアレンジを加えてやり返すとサックス担当の外国人が指笛を鳴らし讃えてくれた。 それに気を良くした僕は調子をさらに加速させた。 若さゆえの演奏、先走る感情に実直なリズム。 それに気づいた僕のおそらく祖父に当たるほどの三人の大人たちが表情を変えた。 血が騒ぐといえばいいのだろうか、演奏に一気に入り込み、動かず指と耳をそば立てる。 クレッシェンドしていくサックスと耳がキンとするほど高らかな音を分厚い胸板から吐き出される力強いトランペット。 打楽器であるピアノがそれに負けないよう思いっきりぶつける。 底を支えるベースの重低音は、目を凝らせば見えてきそうな振動に肉を通り越して骨まで僕を震えさせてくる。 四人の熱量が一気に増し、マスターの顔が蛸のように赤くなる。  気持ちがいい。 曲が一体となって、宙を叩いている。壁に跳ね返った音に酔いしれて白目を向いてしまいそうだ。 何曲引いても足りないくらい。後半は完全に頭が真っ白になってしまっていた。 バンドメンバーの自己紹介もほどほどに練習と準備は夜遅くまでかかり、翌日も午前中から慌ただしく開店準備となった。 開場は夕方の六時。 ジャズセッションが始まる。

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