「多衣良！親父さんだ！」 　声は聞こえないもののすぐに理解して僕は店の入り口をみた。 扉に立つ黒のコートにハット帽をかぶった父さんと目が合う。 後ろにはサラが笑っている。 サラは約束通り、父さんを連れてきてくれたのだ。 僕は嬉しいのと気恥ずかしいのですぐに鍵盤へ視線を戻してしまった。 胃のあたりが締め付けられるような気がして、思わず姿勢が伸びる。 　曲が一息ついて、客席が拍手に沸いた。 店員側である僕らが全員ステージに立ってしまっているので客としてきた父さんとサラは入ってきた入り口付近の壁際にもたれかかったままになっている。 「老人は少し休憩だ、多衣良。好きな曲を弾いて繋いでおいてくれ」 「え、でも……」 「大丈夫、隼人がついてきてくれる、ジャズでもクラシックでもなんでもいい。好きに弾いてごらん。僕は到着したお客様に飲物を出してくるよ」 　マスターがとびっきりのウィンクをした。 カウンターに行くとサラと顔見知りのように話している。 父さんはマスターの挨拶そっちのけで僕に微笑んで手を振った。 その様はまるで場慣れしていない父親が授業参観に来たようで、思わず僕も口許が緩んだ。 昔と何も変わらない。 白髪と目尻の皺が増えた父さんは、不器用で家族を愛していて、 母さん譲りのピアノを愛してくれている。