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第4話
輝夜のつきっきりの看病が続き、五日が過ぎた。
やはり刃には死に至る事もある毒が仕込まれていたそうで、竜巳は発熱を繰り返して寝込んだ。汗ばんだ身体を濡れた布でふき清めたり、食事を手ずから匙を使って与えようとしてきたのを拒むのに疲弊した日々だった。傷は思ったより早く塞がった。薄く痕こそ残るだろうが、男の身には些事でしかない。
竜巳には何より不可解なことがあった。
この男、本当にあの鬼のような強さでかつての仲間を切り伏せた男と同じ人物なのだろうか、ということである。
「今日の飯は干し肉の粥だぞ」などと語る姿は一介の町人としか思えない。しかしその身体は確かに獣のように逞しくしなやかで、身体を動かすたびに盛り上がる筋肉が尋常でないことは分かる。
ある時竜巳は問うた。
「なあ、なんでうちの一党を消さなくちゃならなかったんだ?」
竜巳が首を傾げると、輝夜は少し思案した後に一言だけで答えた。
「仕事だ」
どうやら彼も後ろ暗い生業で生計を立てているようだ。確かに食うに困っている様子はないが、野良仕事をする姿も見ていない。というより、ここに来てから目覚めたとき傍に輝夜がいなかったことがない。付きっきりで世話を焼かれた。
しかしそれも今日で最後となるだろう。
時刻は昼前。
竜巳は着物をはだけさせ、上半身を露わにしたまま輝夜と向かい合っていた。傷を確かめるため、あてられていた布も外されている。まだ子供の域を抜け出せていない未熟な身体は柔らかそうで、肌のきめも細かい。幼い顔立ちはともすれば少女にも見えて、その姿はまだ不安的な危うさを呈していた。
輝夜の節くれだった手がそっと肩口に触れた。
「傷は一応塞がったようだな」
「ああ。動くと多少痛むけど。それよりあんたの薬、すごく効くんだな」
ここで目覚めたとき既に手当されていたのを思い出す。その際に何かを塗ったに違いない。でなければこんな簡単に切り傷が癒えるわけがない。
「……それより、これでは痕が残る」
竜巳の言葉には答えず、輝夜は目を細めて、肩から脇腹へと走る傷を指で線を描くようになぞった。
「っ……!」
触れられた部分が熱を持つ。少しばかりの痛みを伴った熱は、触れられた場所から徐々に全身に広がってゆく。疼痛にも似たそれをやり過ごそうと、竜巳は身を縮こまらせた。
「…………」
指先が脇腹まで届くと、輝夜は無言のままそっと竜巳の頭を撫でた。
「う、わ……!」
竜巳は慌てた。頭を撫でられるなど親が死んで以来のことだ。そっと覗き見た輝夜は部長面で、何かを怒っているようにも見えた。
「何してんだよ……!」
「……獣のような髪だなと思ってな」
一転、乱暴な手つきでわしゃわしゃと髪を乱され、竜巳はかぶりを振ってその手から逃れた。
何なのだ。本当によく分からない男だ。だが、今は告げるべきことを告げるのが先だ。竜巳は不満げな輝夜に向き直り、筵の上で居住まいを正した。
「あの、輝夜、これまで世話になった」
「……いや。もとは俺の戯れ。お前が気に留めることなど何もない」
何か察するものがあったのだろうか、輝夜もまた竜巳に向き直り、顔を横に振った。話をするなら今だろう。
「そうか。それで、あんたに折り入って頼みがある」
「頼み?」
輝夜の片眉がぴくりと跳ねた。竜巳は少し弱気になる。
だが、これはここ数日の間ずっと考えていたことだ。あの下衆としか言い表せぬ“仲間”を処したこの男にしか頼めぬ事。
竜巳はだんっ、と勢いよく地面にひれ伏した。
「俺をあんたの弟子にしてほしい!」
長い間が空いた。
「…………は」
輝夜が、硬直したのが分かった。
もしや、言葉を間違えただろうか。
家の事をしろと言われればする。全裸で踊ってみろと言われれば踊るだけの覚悟は出来ていた。しかし引き受けてもらえないのであれば意味がない。まずい、どうしたものかと竜巳は数秒のうちにあらゆることを考えた。
――一瞬の間の後、頭上からくつくつという低い笑い声が降ってきた。
「くくく、おかしな奴め。顔を上げろ」
恐る恐る顔を上げると、輝夜は――口元だけで笑っていた。ひどく酷薄な微笑みを浮かべる美丈夫に、背筋が凍るのを感じて、竜巳は身を縮こまらせた。
何度か喉を震わせた輝夜は、嘲笑うような微笑みを浮かべて首を傾げた。
「俺はてっきり、ここを出ていくという話だと思ったのだがな。俺の許で何を学ぶ? 生憎と、俺は殺しぐらいしか知らんぞ」
「その殺しを学びたいんだ」
「何故?」
思わず身を乗り出すと、輝夜はいつになく厳しい声でそう問うた。どこか竜巳を責めるような、蔑むような声音だった。
「……復讐したい奴が、いる」
「――ほう」
竜巳が忌々しげに呟く。思わず毛皮の端をぎゅっと握りしめると、その様子を見た輝夜の顔から侮蔑を含んだような笑みがすうっと失せた。
「ガキの頃に、その、俺を馬鹿にしたやつが、いる。居場所は分かってる。だからそいつを殺したい」
「――ああ、なるほど。お前を抱いた男か」
「⁉ なっ、ん、で……!」
顔が熱くなった後、さあっと血の気が引いていくのが分かった。なぜこの男は己の忌々しい過去を知っているのか。竜巳は焦燥の混じった驚きを覚え、眼を剥く。
「身体を清めるときに、お前の太腿を見た」
「――っ」
「何より、お前から、男の味を知る者の匂いがする」
輝夜はまるで面白いものを視るようにじろじろと竜巳を眺め、告げた。竜巳は歯を食いしばってその屈辱に耐えた。
辱めを受けたのは十の頃だったと記憶している。両親を失った竜巳は山賊に拐され、どこに売られるでもなくいつの間にかその身内となった。その時の頭が使いに行ってこいと竜巳を嵌め、ある侍にその身体を売らせたのである。あの時の非力な子供の悔しさと恐ろしさと言ったらなかった。侍は酔狂な男で、まるで遊女にやらせるように、気を失った竜巳のその太腿に己の名を彫り込んだのである。
やがてその頭が死んで恨みの対象は頭から男へとうつり、その仕返しをしてやる、するまでは死ぬまいと思って生きてきた。
「そうか、辱めた男がそんなに憎いか」
「わ、分かってるなら、話は早いだろ⁉ 朝餉の準備や洗濯だってするし、あんたのことを神様みたいに奉れっていうならする! 何でもするから、頼むよ……!」
竜巳が必死になってまくし立てると、輝夜は胡坐をかいて何かを推しはかるような面持ちでこちらを見ていた。はっと我に返って、輝夜を見つめ返す。
「今、何でもすると言ったな」
「え、う、ああ」
俺にできる範囲でならだけど、と付け足すと、輝夜はにっと笑った。
「では」
そっと、肩に輝夜の手がかかった。
「え、あ」
そのままゆっくりと体重をかけられ、押し倒されてゆく。竜巳がすっかり横たわるのと、輝夜が覆いかぶさって来たのはほぼ同時だ。竜巳は狼狽えた。
「ばっ、ちょっ、まって、な、にを!」
「何でもしてくれるのだろう? お前が居たおかげで一人で扱くこともできなんだ」
輝夜はそうのたまうと、うっそりと笑って竜巳の頬を撫でた。
鼻先が触れ合いそうなほど近くに、美丈夫の顔がある。
「おい、まっ、う、むう……!」
言葉の意味を理解した竜巳が慌てふためくと同時に、柔らかく口を吸われた。
何度も食むようにその唇を味わった後、入り込んできた舌が歯列をなぞる。生まれて初めて触れた他人の唇は、少しだけかさついていたが暖かくて柔らかかった。
「っふ、う……」
舌が無遠慮に口の中を犯した。息をつく間も無く舌を甘く噛まれ、その淡い痛みさえ快感を生む。
「己を辱めた者を殺すため、再び辱めを受ける程の覚悟があるのか?」
「っ」
はっと我に返って押し返そうとするも、無駄のない筋肉に覆われた逞しい身体はびくともしない。むしろ逃すまいと言わんばかりに奥深く舌を絡めて来る。
「んっ、んん、ぅ……」
口の端から唾液が溢れ、顎を伝う。それが輝夜のものなのか、己のものなのか、竜巳にはわからなかった。
男らしく無骨な指先が脇腹を撫でる。するすると上に上り詰めた指先は、胸の突起を強く摘んだ。つきんとした痛みが走り、竜巳はいやいやをするように身体をよじった。
このままでは本当にこの美しい男に抱かれてしまう。焦る心中に反して、身体が上手く動かない。
強くなれるならば。
この男のようにならば、身体を明け渡しても構わないと思う己がいる。竜巳は男のしなやかな戦いぶりに心を奪われていた。
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