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第11話

現れたのは、すらりとした長身の美しいこの家の主――輝夜だった。 「おい、起き、て……」  輝夜は屋内に入るなり、竜巳の横に堂々と座した伊織を見止めて眉根を寄せた。 「よお輝夜」 「なぜお前が居る」 「用があったからだよ。しかし、随分と可愛い弟子を取ったもんじゃねえか」  伊織はにや、と笑った後、輝夜のただならぬ怒気にその表情を引き締めた。 「ああ、そうだろう。よく出来た弟子だ。……近づかないでもらおうか」  竜巳と伊織を交互に見遣った後、伊織を睨んだ輝夜の瞳がすっ、と細められた。無言のまま発せられる殺伐とした雰囲気に、伊織のみならず竜巳まで息を呑む。  竜巳は内心、焦燥に胸を焼いた。輝夜の知人であると判断した故に招き入れたのだが、何か間違いだったろうか。 「な、なあ、そう怒るなよ。竜巳には何もしてない。美人が台無しだぞ」 「はっ、俺の見かけがそう衰えるものか。狐狸の獣のような顔つきのやつは黙ってろ」 「やっぱひでぇや、黙ってりゃただの色男ですむのになあ」  輝夜が重く長く嘆息しながら返すと、伊織はけらけらと笑った。 「ごめん、輝夜。あんたの知り合いみたいだったから、いれたんだ」  輝夜はもう一つ大きく息を吐いてから、いつもの定位置に腰を下ろした。 「何の用だ」 「次の仕事の件、長からの通達があったからよ。ほれ」  伊織は袂から文を取り出すと、輝夜に渡した。裏と表を確認した輝夜は、「確かに」と返して文を読まずに懐にしまいこんでしまった。 「他に要件は?」 「ねーよ。はいはいはい、馬に蹴られる前に邪魔者は帰るとしますかね。――竜巳のことは黙っとくよ。ま、もう遅いかもしんねえけどな」  立ち上がった伊織は、竜巳を見てにっ、と笑った。困惑の後に輝夜を見ると、再び輝夜の目が細められる。 「……伊織、こいつに何か余計なことを吹き込んじゃいないだろうな」 「いや、何も」  伊織が首を大きく振って見せると、輝夜はことさらに目を細めて訝しんだ。 「本当だって。……お前の邪魔はしねえよ」  そう返した伊織の穏やかな声色は、どこか物悲しさを感じさせた。竜巳は首を傾げながら二人のやり取りを見守ることしかできずにいた。 「ま、竜巳を苛めてやるのもほどほどにしておけよ」 「お前には関係のないことだろう」 「あるさ。俺と竜巳は“友“だ。竜巳、何かあったら俺を呼べよ」 「……とも」 「そうだ、友だ。抱き潰されて死にそうになったらうちに逃げて来ると良い、俺でも、鬼丸を止める時間稼ぎぐらいはできるだろうよ」 「伊織」  伊織が呵々(かか)と笑うと、輝夜が静かに、低く語気を強めた。竜巳の背筋を何か冷たいものが這う。慣れているのか、伊織はへらへらと笑ったままだ。  竜巳は友という言葉に浮かれたようになっていた。山賊でいた頃は年の近い者などいなかった上、その関係は決して友ではなく、言うなれば仲間であった。  友。その語句を反芻して脳裏を過るのは、与一の姿だ。最近、何を考えていても与一のことが頭を過るようになってしまった。山賊だったころには佐平への復讐に燃えてばかりでそんな余裕などなかったというのに、不思議なものだと思った。 「じゃあ、俺は本当にこれで帰るぞ。またな拗らせ色男、竜巳には忠告したが、お盛んなのもほどほどにな」 「いいから早く帰れ」  急かされた伊織は、へえへえと間(ま)延(の)びした返事をしてから、軽く片手を振って行ってしまった。  まるで嵐のような男だったな、などと受け取ったままの湯呑の底を覗き込みながら思案する。しかし悪い男ではなさそうであった。もし兄が居たとしたらあの男のような者だったのかもしれない、と頭の片隅の温かい記憶を引きずり出してみると、胸がぽかぽかと温まった。輝夜もそんな節があるから、兄が二人できたことになる。竜巳は胸のこそばゆさに頬が緩むのを堪えるのに必死だった。 隙間風がひょうと音を立てて吹き込む。驚いて顔を持ち上げた時、輝夜がじっとこちらを見ていることに気づいた。その視線はいつも以上に剣呑だった。 「おい」  低い声に慌てて居住(いず)まいを正す。蜂蜜を溶かしたような色の瞳は、暗がりで炎の光を受けて昏(くら)い赤に染まっていた。 「な、なんだ?」 「もう、俺の不在時に人を家に入れるのはやめろ」 「……分かった」 「顔を見せて断るのもならん。誰もいないふりをしろ」 「それは――」  竜巳は鼻をつままれたような顔をした。家主がいないと伝えることの何がいけないというのだろう。 「ちょっと待ってくれよ、俺はあんたがいないと外に出られないし、人と話すのもいけないってことか?」 「そうなるな」  真剣に頷いた輝夜に不信感が募(つの)った。稽古をするよりもまぐわう時間の方が長いなんて、まるでただ囲われているようではないか。無意識のうちに輝夜を睨みつけていた。 「……そこまで言うことを聞かなくちゃならない理由はなんだ? 伊織は良い奴そうだったし、ここだってそんなに物騒ってわけじゃ」 「あいつは――例外だ。いいか、これは師の命令だ、おとなしく従え。ならんといったらならん」  輝夜は頑なだった。  師の命令だと言われてしまえば、竜巳にそれを拒む権利などなくなってしまう。  彼は何故、竜巳をこの家の中に閉じ込めておこうとするのか。 竜巳はひどく思案を巡らせたが、答えにはたどり着けず、胸にわだかまるもののみが残った。

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