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第12話
「おい、起きろ」
伊織の来訪から数日が経過したある朝、竜巳は数度頬を弱く叩かれて、うっすらと目を開けた。開け放たれた雨戸から燦燦と光が差し込んでいた。同時に外から吹き付けてきた冷たい空風に身を震わせ、毛皮の中にもぐりこんだ。
「こら、起きろと言っているのにお前は」
強い力で毛皮を引っぺがされ、竜巳は眠い目をこすりながらぼんやりと身を起こした。
「うー……さむい……」
「寒い、じゃない。飯の用意はどうしたんだ、阿呆弟子め」
軽く肩を蹴られ、そこでようやっと竜巳ははっと目を見開いた。
「しまっ……朝餉!」
「そうだ。朝寝とは、弟子の分際でいい身分だな」
冷やかな嘲笑を受け、竜巳は弾かれたように飛び起きると厨(くりや)に駆け込んだ。あの顔の輝夜はまずい。これではまた仕置きという名目であれやこれやとされてしまう。
そう焦る竜巳の目に飛び込んできたのは、既に鍋に放り込むだけにされた雉肉、人参、大根、白菜、栗――それらが程よい大きさに綺麗に切られ、それぞれ具材ごとにざるに入れて並べてある。竜巳はあんぐりと口を開けた後、やれやれと腰を下ろした輝夜を振り返る。呑気に茶を啜る男の視線が竜巳と交差した。
「……用意、しておいてくれたのか?」
「お前が起きんからだ。いつまでも飯が食えん」
「もっと前に起こしてくれればよかったのに」
「…………」
輝夜はそれ以上何も言わず、囲炉裏の火に薪をくべはじめた。
竜巳はその男を凝視した。日々を稽古と情事で疲労困憊になって過ごす自分を気遣い、日が昇るまで寝かせておいたのだとしか思えなかったのだ。いや、この男にそこまでの懐の広さを求めてはいけないのかもしれないが――なぜかそう確信していた。
同時に、なぜそう優しくするのか、という疑問が湧きあがる。生易しいどころではない。輝夜の見せる優しさは、時折友を超えて家族や――兄のような存在を思い起こさせた。
「何を突っ立ってる。とっとと支度しろ」
ぎろり、と凄む声こそ厳しいものの、その姿には恐怖を感じることが出来なかった。まるで、そう、照れ隠しのようだ、と思いながら、竜巳は慌てて下ごしらえの済んだ野菜を運んだ。それを囲炉裏にかけられた鍋に放り込み、味噌で味付けする。それで今日の飯は完成だ。輝夜は味が薄いと不機嫌になるが、濃いと怒鳴った。味付けは竜巳の勝負所だ。
輝夜の横に座って鍋が煮立つのを待ちながら、竜巳はこれまで気にかかっていたことを尋ねる。
「なあ、毎日似たようなものばかり食って飽きない?」
輝夜は一拍の後、ほくそ笑む様に笑って竜巳を見た。
「なんだ、不満か。別に同じものを食ったからと言って死にはしないだろう、食えるだけありがたいと思え」
「……確かにそれはそうだけど」
竜巳はおこぼれを貰うことが殆どだったが、山賊だったころには様々なものを食べた。貿易商を襲えば珍しいもの、例えば舶来の甘味も手に入ったのである。肉こそ食う機会はなく飢えにも苦しんだが、悪くない食生活だったのだろう。
今の己は贅沢になりすぎている。この男に優しく甘やかされているせいだろうか。
そんなふうに沸き立つ鍋の水面を見つめて考え込む竜巳の横顔を、推し量るような顔で輝夜が見ていた。
朝餉を終えると、輝夜は決まって稽古をつけた。道場にちょうどよく日が差し込むからだという。輝夜が仕事で昼間に帰って来る際には午後の場合もあった。夜には夜目を聞かせるための訓練も行っているため、竜巳は常に疲れ果てていた。
普段なら相手に組み付き、投げ飛ばすような取っ組み合いをする。大体は輝夜に軽くいなされてしまうので、彼のお遊び半分なのだろうと思っていた時のことだった。
「今日はこれを持て」
足元に放られたのは、竜巳の手より一回り大きい程度の鈍色に輝く刃を持つ鋭利な小刀だった。それを手に取り、まじまじとその刃に映る己自身を見やる。
「長物より数段扱いやすい。身体の動かし方は教えたからな、あとはこれを効率よく振り回すことを覚えろ」
言いながら、輝夜は竜巳の背後に立った。右手に小刀を握らせ、腕を真っ直ぐに伸ばさせる。輝夜は竜巳の肩に顎を乗せるようにして寄り添った。あまりの近さに気が気ではなかったが、輝夜がそれを気にする様子はない。
「いいか、まず狙うのは相手の喉笛だ――と言いたいところだが、お前にはまだ早い。冷静に相手の戦力を削ぐことを考えろ。一撃で、などと考えずともいい。この得物を扱えるようになることを考えるんだ。いいな」
「わかった」
輝夜が右手に自らの手を添え、ゆっくりと十字を描く。
「基本的には下から上、上から下と斬り付けろ。二段攻撃ができる。相手の動きを読む方法は教えたな?」
「あ、足元」
「そうだ。様子を見ながら小刀だけではなく体術も繰り出さなくてはならない――何をそんなに固くなっている」
輝夜の声に、竜巳はびくりと跳ねた。
「べ、別に緊張なんて、してない」
「そうか? 身体に力が入りすぎているように思うが」
「そ、れはっ!」
あんたの顔が近いからだ、と言いかけて慌てて口を噤んだ。顔が赤い気がする。ああ、意識すればするほど、彼との戯れの情事を思い出してしまう。
「……まあいい。実践だ」
輝夜はそう呟くと、竜巳を抱き寄せて柔い臀部を撫でた。
「さあ、屈辱を思い出せ。俺をあの男だと思って、かかってくるがいい」
竜巳の腹の底がかっと熱くなった。あの男を見るも無惨に殺してやる。そのために己はこの男に身体まで明け渡しているのだ。
――本当にその為だけになのだろうか。
脳裏を過った言葉から目を背け、稽古に集中する。
竜巳は迷いを断ち切るべく、しなだれかかっていた輝夜を突き飛ばし、一歩踏み込んで斬りかかった。
「ああそうだ、その眼だ。もっと来い。熱く、冷静に、な」
輝夜は踊るような動きでその一撃を躱すと、うっそりとほほ笑んだ。
まただ
竜巳は覚えた違和感を払拭する。輝夜は竜巳に戦いを教えるとき、決まってこの昏い顔をした。
そんなことを考えているうちに、得物を持たぬ手が竜巳の手を捻じりあげ、軽々と引き倒した。
「ぐっ……!」
小刀が落ち、竜巳はその場によろめき、ふらりと蹲った。腕に走る鈍痛が苦しい。まだまだだ、と頭上の輝夜を睨み付けると、美丈夫は口の端を持ち上げて首を傾げた。
「どうした、お前の番だぞ」
「ッ!」
竜巳は唖然とした。
「与一……?」
口の中で転がすように呟いた言葉は、誰に届くでもなく虚空に消えてゆく。
『ふふ、竜巳、お前が鬼だぞ』
そう言って笑う美しい少年の姿が脳裏を過る。
一瞬、与一とこの男の姿が重なって見えた。穏やかな微笑みに物言い、そして瞳の色はまるで兄のように慕っていた人物だったが――。
与一はこんなひどいことしない。殺しなんてするわけがない。
竜巳はかぶりを振って、落とした小刀を拾い直した。
その日は久方ぶりに得物を手にした為か、はたまた己が疑念から目をそらそうとしたのか。長々と鍛錬に時間を費やした。
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